ウィルバーフォース氏のヴィンテージ・ワイン

ウィルバーフォース氏のヴィンテージ・ワイン (エクス・リブリス)ウィルバーフォース氏のヴィンテージ・ワイン (エクス・リブリス)
ポール・トーディ
小竹由美子 訳
白水社


そこそこ以上の成功者だったらしいのに、ワインに溺れてあんなになってしまって、死神にリーチをかけられているウィルバーフォース。
でもちっともかわいそうじゃないウィルバーフォース。
彼を見る目は冷ややかよ。だって、あまりに手前勝手な一人称語り。
ただ、なんでこんなになったわけ?って、それが気になる。
妄想と手前勝手な言い訳に彩られた語りのなかのどこまでが本当のことなのか、それはどういうことなのか、なぜなのか。


2006年(つまりここが現在地)から始まって、2004年、2003年、2002年、と時間は逆行していきます。
そして、少しずつ謎が解けてくる。ミステリのように。知れば知るほど主人公が嫌いになる。
と、思っていました。ある程度までは。
それが、時間をさかのぼるにつれて、だんだん哀れになってきた。
なんて無味乾燥な人生だったんだろう。なんてさびしい人生だったんだろう。


申し分のない家庭、何不自由なく育ち、充分な教育を受けて、独り立ちした後は、並々ならぬ才能とスタッフに恵まれての成功。
なのに、生まれ落ちた瞬間から、ひとりぼっちだった。家族といえるような家族をもったこともない。おざなりのキス。
愛情は得られず、愛情ごっこだけがそこにあった。
やっと恵まれたと思った友情も、友情ごっこにすぎなかった。
愛することも愛されることもマニュアル的にしか知らない。信頼することもされることも、知らない。
それも当然だろう。彼の回りには生まれてこのかた30年もの間、なかったんだもの。


だからワインだったのかもしれない。
どうしようもない男じゃなかった、とは言わない。
でも、「君には何かが欠けている。君はまともじゃないんだ」と言われるほどに、欠けているわけではなかったのかもしれない。
種はそこにあったし、貧弱ながらに芽を出していたのだ。
そんなふうに思える。


ウィルバーフォースがワインにおぼれていったのは、ああいうワインだったからだ・・・
少しずつ時間をさかのぼるにつれて明らかになってくることがある。
なぜ彼はファーストネームを呼ばれないのか。
なぜ、ファーストネームを告げたとき、「彼」はあんなふうに笑ったのか。
そして最後の章でのエックの物語・・・
そうだったのか。
ウィルバーフォースは、いつ知ったのだろう。最初から知っていたのだろうか。だから、丘をのぼっていったのか・・・
自分に足りないものをさがして。


そう思ったら、ワインにおぼれていく彼がせつなくて、せつなくて。
冷ややかに眺めていた彼の幸薄い人生のなかで、ワインを「テイスティングする(彼の言い方)」あいだ、
彼は彼を本当に愛してくれた人(そして、彼が本当に欲した人)と一緒だったのかもしれない。


物語は、過去にさがのぼり、明るい希望の言葉で終わります。
でも、その後の転落をわたしはすでに知っているのです。
だけど、彼にとって、その転落の日々こそ真に生きた日々、幸福な日々だった、というわけなのでしょうか。
運命の分かれ道での間違った選択、と誰もが思うその選択は、彼自身にとっては、これしかない、という道だったのかもしれない。
だれにも理解されなくても。そうかもしれないと思うのです。
彼の物語を、さかのぼって読んだから、だから理解できるのです。
もう、最初に読んだように冷ややかにはみられないのです。
でも、これで満足、だなんて、そんなの、ありでしょうか。
こんなにせつない話ってないんじゃないか。あまりに悲しすぎます。


と書きながら、この後に及んで、一抹の不安はあるのです。
アルコール依存症救済施設を退所時に、施設長(?)に彼は言われている。
「わたしがあなたのなかに見つけたのは、自分を隠す優れた能力です」
この言葉がひっかかってて。
確かに一人称語りであっても、彼の本心はなかなか読みとれない。
自分のことなのに、どこか人ごとみたいなのだ。
これは彼の性格(つまり何かが欠けているという)の片鱗を表わしているか、とも思ったのだけれど・・・
自分に不都合なことはなぜかうまい具合に忘れてしまったり、絶妙なタイミングで意識を失ったりしてしまう、妙に作為的な語り・・・
わたし、まさか騙されてない?よね?