蝿の王

蝿の王 (新潮文庫)蝿の王
ウィリアム・ゴールディング
平井正穂 訳
新潮文庫


疎開するイギリスの少年たちを乗せた飛行機が爆撃され、飛行機はある無人島に胴体着陸する。
島に取り残されたのは、少年ばかり。(はっきりした人数は書かれていません)
大人はひとりもいない。
大人がいない生活に、子どもたちは、元気で休暇気分。
彼らなりのリーダーも決め、秩序のようなものもでき、島での生活が始まった。


個性豊かな少年たち、これは、少年の姿を借りているけれど、さまざまな人間たちのひな型のようです。
彼らそれぞれに良く似た歴史上の、さまざまな指導者たちが思い浮かぶし、
この物語のなかの様々な事件と酷似した歴史上の一場面が思い浮かんだりするのです。
そして、この美しい豊かな島は地球のひな型かもしれないのです。


やがて、リーダー格の二人の少年の反目が顕著になっていく。
秩序を重んじて救出されることを待とうという少年。それに対して、現在自分が置かれた状況に適応して生き抜こうとする少年。
無人島暮らしが長く続いたせいで、物事を折り目正しく考えることさえもできなくなっていき、どんどん野生的になっていきます。
どんどんエスカレートしていきます。
これが、清潔な服装をして、毎日大人の庇護のもと学校へ通っている少年たちと、同じ人間なのか、と思うほど。
物語の最初のほうで、リーダーに選ばれた少年が、炎に照らされた他の少年たちの顔を眺めながら、ふと考える部分があります。
「上から照らされた場合と、下から照らされた場合とでは、顔が違ってくる、とすると――いったい顔って何なのか? いや顔だけではない、ものごとっていったい何なのか?」
この先の彼らの変貌ぶりを予言するような言葉に思えてしまいます。


彼らは最初から、常に彼らのそばをうろつく目に見えない「獣」の存在を感じ、恐れています。
この「獣」が物語のカギになっているのです。
「獣」は実は、彼らの心の闇の部分なのです。

>「・・・わたしはおまえたちの一部なんだよ。おまえたちのずっと奥のほうにいるんだよ? どうして何もかもだめになってしまったのか、どうして今のようになってしまったのか、それはみんなわたしのせいなんだよ」
この「獣」を飼いならすことも「闇」を克服することも彼らにはできなかった。
ここで、「獣」の存在を信じる少年たちと、そんなものは最初からいないと否定する少年たちと、
それから、獣は自分たちのなかにいるのだと達観する少年とがいました。
でも、獣の存在は強かった。恐れは理性を上回るほど強いものでした。
弱いものは、力でねじ伏せられるのでした。
そこに正義はなかった。
>・・・彼は自分が追放者であることを知った。「それも自分が多少道理を弁えていたからなんだ」
サンゴ礁に囲まれた温暖な美しい島。害獣はいないし、飲み水も食べ物も豊富なパラダイスのような島。
ここでは、何の苦もなく生きていける。その気になれば遊んで暮らせる。
もしも、恐ろしい敵がいたら、もしも寒さや暑さと戦わなければならなかったら、食べ物を必死で確保しなければならなかったら、
彼らは自分の中の「獣」に気がつかなかっただろうに。
獣は、生き残るためのエネルギーに形を変えていただろうから。
必死で生き抜く必要がないばかりに、暇を持て余した獣が、ふくれあがり、暴れだした。
その飼い主である自分自身を食らってしまった。
一見他人を襲っているように見えるけれど、食われているのは自分自身なのでした。
獣に食われるか、獣に支配されてしまっているか・・・自分でもそうと気がつかないままに。
そうなると、この美しく静かな島はほんとにパラダイスといえるだろうか。むしろ大きな罠のように思えるのです。


誰かを憎むということは、その誰かのことを怖がっているということだ。そんなことが書かれたところもあった。
なるほど、なんとなくわかるような気がする。
法と秩序のもとに暮らそうとしたけれど、うまくいかなかった。
法も秩序もあまりに弱かったし、あまりにアバウトだったから。
憎しみと恐れが増長して、もjはや手がつけられなくなっていく。
彼らが一番恐れていたのが、目に見えない獣で、実はそれが自分たちの中にいた、というのだから皮肉なものです。
彼らは自分自身を恐れ、自分自身を憎んでいたことになる。


読み進めながら、ただもう恐ろしかったです。
最後に救出されたときには心底ほっとしました。
ところが、巻末、訳者あとがきに、こんなことが書いてある。
「・・・これらの殺戮し合った子どもたちを収容した巡洋艦は、さらに異常な、戦争と混沌と暗黒の世界に船出していくことは明らか・・・」と。
どこまでも救いのない物語にぞっとします。
人はそんなに簡単に闇に負けてしまうのだろうか。
いいえ、闇に負けた、というよりも、多数の力に負けてしまったように感じるのです。
正しいとか間違っているとかではなくて、圧倒的多数に流されてしまうのが怖かった。
たぶん二度と読まないだろう(読めないだろう)と思いながら、この本のあれこれの場面が鮮明に残っています。