仁木兄妹の事件簿(私の大好きな探偵/猫は知っていた)

私の大好きな探偵―仁木兄妹の事件簿 (ポプラ文庫ピュアフル) 猫は知っていた―仁木兄妹の事件簿 (ポプラ文庫ピュアフル) 私の大好きな探偵―仁木兄妹の事件簿
猫は知っていた―仁木兄妹の事件簿
仁木悦子
ポプラ文庫ピュアフル


新版 水曜日のクルト (偕成社文庫)童話集「水曜日のクルト」を読んだときに、
作者大井三重子さんのもう一つの顔が推理小説仁木悦子と知り、いつか仁木悦子さんの推理小説を読んでみよう、と思っていました。


仁木兄妹の事件簿、二冊。
植物学専攻の大学生仁木雄太郎と音大生の仁木悦子の兄妹が探偵役、二冊とも語り手は妹の悦子です。
作者は、仲のよかったご自分たち兄妹をモデルにされたのでしょうか。
『私の大好きな探偵』のほうは五作品収録の短編集で、『猫は知っていた』は推理作家としてのデビュー作で長編です。
当時仁木さんが「日本のクリスティ」と呼ばれるきっかけになった、という『猫は知っていた』は、最後まで翻弄されました。
短編のほうは、短編ならではの無駄のなさ。ぴりっと引き締まって一気に事件の核心に入る緊張感が楽しかった。


そして、血なまぐさい殺人事件を扱っているのに探偵役二人(というより主に兄が探偵)の持ち味のせいか、
物語全体にほのぼのとしたイメージがあるのです。
からりとさわやかな清潔感と、ふわっとした優しさ。育ちのよい坊ちゃん嬢ちゃんのにおいや、古き良き時代の人々の屈託のなさなども。
この二人の仲の良さ、背高のっぽのお兄さんのちゃめっけのあるすてきさは、作家の兄に対するあこがれなどもこもっていたのかも。
そして、陽気な行動派娘の悦っちゃんは、病気のために学校に行くこともできなかった作家の理想の姿なのかも。
二人のヤジキタぶりがなんともいえずほほえましくて、このコンビのほかの話をもっともっと読みたい、と思います。


童話集『水曜日のクルト』に感じた透明感も健在。
ただ、ちょっと思ったのは、『水曜日のクルト』は、小さな子どもたちに向けた物語であるに、
楽しさや優しさの後ろからなんともいえない悲しみが染み出してくるのを感じたのに、
こちらの二冊の推理小説には、あまりそういうイメージはありませんでした。
というよりも、こちらは、サスペンスですからね、思いもよらない人が犯人だったりするわけです。
そういう意味では、最初から疑ってかかっているのです。
善人そうなあの人もこの人もあてにならないぞ〜、信じちゃいけないんだぞ〜と。
そして、殺人事件でしょ。憎しみや苦しみ、悲しみがあるのは当然なのだ、と思っているわけです。
それが、思いのほか、からっとしているし、さわやかだったりするから、意外な気がするのです。
『水曜日のクルト』とは逆だなあ、と。


いいなあ、と思ったのは、時代。この本のほのぼのとした雰囲気は、昭和三十年台初頭という、あの時代の雰囲気によるのかもしれません。
物干し台のある家、ねじ込み式のカギ。デニムのエプロンをかけた炭屋さん。
開けっ放しが当たり前の家、電話がある家もない家も普通にあったし、電気屋さんに洗濯機の修理を頼めばリヤカーでとりに来る。
夕方、家の前、道端に縁台を持ち出して、将棋を指す人。
通りすがりに眺める人。
なつかしい。


『猫は知っていた』の舞台になった箱崎医院という病院ですが、
この時代の病院ってものがわからないせいもあるのですが、ほんとにほんとですか?とかなり驚きの設定の数々、
事件の不思議さよりも、ひたすら目を瞠ってしまいました。
仁木兄妹がこの病院に下宿することになるのですが、それが二階の病室の一室なのです。
(つまりお隣さんもお向かいさんも入院患者さんです)
看護婦部屋なんてのがあって、三人いる看護婦さんの寮になっているらしい。
そして、この病院の医師の妻が、早く病院専用の厨房を作って専任の調理員を置いてほしい、と頼んでいたりします。
病院の離れにある医師一家の自宅の台所で、この妻と女中さんの二人で、入院患者や看護婦の食事を用意しているらしいのです。
箱崎医院の見取り図もおもしろい。
大きな敷地の中に建った病院ですが、今の病院と大きく違う、と素人目に感じたのは駐車場がないことです。
この門から病院の玄関までの緑濃い庭の感じや、玄関を入ってすぐ右手にある薬局の窓口など、
はるか昔(?)のかかりつけ小児科医院をほうふつとして、なんだかなつかしかった。


各巻の巻末に付された『仁木兄妹の世界を読み解くキーワード』の説明もよかったです。
当時の金銭価値や尺貫法のメートルへの換算。
それから、こまごまとした時代かかったものを指す言葉たち・・・
確かに昔はこんなものがあったなあ、でも今は使わないのだなあ、見ないなあと思う言葉に簡単な説明が付してありました。
懐かしいなあ、と思ったものがある一方、こんなの知らないわよ(笑)と思うものもちらほらとあったのでした。
シュミーズ、国電、ヨジーム・チンキ、ミルキー・ハット、慎太郎刈り、トッパーコート、アストリンゼン、フォックス型・・・などなど。
ここには付されていないけど、張りものとか練炭とか戦中の名残の防空壕とか、ね。


『猫が知っていた』は、昭和32年(1957)に出版されています。私が生まれる少し前。
懐かしいと思うのはそのせいなのですが、
大矢博子さんの解説を読み、この主人公二人、もし現在存命なら七十代後半か八十歳かもしれない、
という事実(?)にばたっと行き当たったのでした。
わたしの親と・・・同年代。
なのでした。