初夜

初夜 (新潮クレスト・ブックス)初夜
イアン・マキューアン
村松潔 訳
新潮クレスト・ブックス


性の解放が叫ばれる直前の1962年。
心から愛しあう新婚カップルのエドワードとフローレンスはまだベッドをともにしたことがない。
物語は風光明媚な海岸のホテルのハネムーン・スイートと呼ばれる一室でのディナーから始まる。
二人とも、このあとの時間のことが不安で仕方がないのですが、その不安の中身は二人まったく違っていました。
二人の短い時間の心理描写が、これでもかってくらい丁寧に描かれています。
読者としては、じらされ、緊張感が高まっていきます。
問題は、二人とも不安でありながら、自分の抱えていることにせいいっぱいで、
相手の気持ちを思いやる余裕もないし、この気持ちをそのまま相手に告げることもできないことです。
そのすれ違った気持ちに、はらはらしながらも、高みから見物する気分で、滑稽にも感じました。
なぜ、こんなふうにすれ違っているのか、なにを不安に感じているのか・・・
彼らの育った環境、彼らの生い立ち、彼らの出会い・・・丁寧に追っていきます。
これは恋愛小説でしょうか。
そうだとしても、なんと突き放した視点から描かれた恋愛小説でしょう。


深刻な悩みをだれにも相談できない、ということが問題です。
そのおかげで、よりいっそう深刻になり、いったんこぼれはじめたら堰を切ったようにあふれだしてしまう感情。
特別な日の特別なできごとを描いていますが、
こんな思い、こんな失敗は、様々な人間関係やさまざまな場面で、だれもがきっと経験のあることではないでしょうか。
もちろん私自身も。
苦々しい気持ちで振り返るあんなことこんなこと。
そして、それが若さ・未熟さなのかもしれません。
何度も苦い思いをしながら、愛情も忍耐力も育っていくものだろうし、受容範囲も徐々に大きくなっていくものだろうと思うのです。
そうしたら、若い日のことを笑い飛ばすこともできる。
私たち読者が、この物語の前半を滑稽な思いで眺めていたように、当事者たちも、後年振り返って笑うことができる。
充分な時間が必要なのだと思います。


・・・そう思うからこの物語は苦い。
よみがえる様々な場面が美しいからよりいっそう苦い。
笑い飛ばしたい過ち、だれもがきっと経験したことのある、とってもありきたりの過ちなのに、
タイミングだろうか、人生が自分にくれたもっとも大きな贈物を一緒に持ち去ってしまったのだとしたら、あまりに悲しい。


あとがきに、「ふたりはその後もけっして不幸と言えない人生を送ることになるのだが・・・」と書かれた部分を読みながら、
うん、きっとそうだろう、と思う。
だからよりいっそう身近に感じられるのではないか、この二人が。
そして、不幸じゃないから、きっと何度も振り返って、大切なものを永遠に失ってしまった空しさを反芻しないではいられないのではないか。
・・・でも、それは甘美な思い出でもあるのです。読者にとっては。
この喪失感が苦くも美しく残るのです。