獣の奏者Ⅰ.Ⅱ.

獣の奏者 I 闘蛇編獣の奏者 II 王獣編獣の奏者 I 闘蛇編

獣の奏者 II 王獣編

上橋菜穂子
講談社


壮大でダイナミックなファンタジーで、大きな流れに押されるように、物語は先へ行くほどにぐいぐいと加速していきます。
とてもおもしろかったです。
しかも、この物語の根幹を流れるテーマの深さ、
そこに小さなあれこれが微妙に絡み合い、そこかしこに焼きつくような感動的な場面が仕込まれていて、何度もじんわりとしてしまいました。


人と獣(決して人と交われないものとしての)との共存の物語、と言ってしまえば簡単ですが、
そこに人と人との「差別」を重ね、
また共存するにあたって(人同士であれ、人と獣同士であれ)必ず必要になってくる「掟」と掟破りのことなど・・・


たとえば、人に決して慣れないという王獣の子の養育に成功し、みごとに親になりきった主人公エリン。
この場面には思わず涙ぐんでしまう。これだけでめでたしめでたしになりそうなものだと思うのです。
ところが、そうならないのです。
人と獣の間に本来あるべき壁をとりはらったために、とんでもない災いを招くことになってしまう。
「壁」「線引き」という言葉が何度も出てきました。それから「掟」「罪」という言葉が。
人にはあくまでも人としての性があり、獣にはあくまでも獣としての性がある。
「人の考え方を投影して、獣の心をわかったつもりになってはいけなかったのだ」と、エリンはいずれ苦い思いで振り返るのです。
交わることができないはずのものが交わるということは不自然で、不均衡で、歪んだ関係になってしまう、と。


エリンは、自分が養育した王獣リランを、本来の姿のままに歪めることなく育てたい、と思っていたはずなのに、
愛情をかけて育てるうちに、互いに離れ難い関係になり、リランを人間の掟の中に縛ることにもなってしまいました。
掟から逃れよう、自由になろう、と願えば願うほどに不自由になっていく。


エリンが差別を受けて育ったことも大きな意味を持っていました。
差別はなぜ起きるのか。
彼女の母は、村人たちから「霧の民」と蔑んで呼ばれる一族の出でした。
そして、決して交わってはいけないはずの霧の民の母と村人の父が結ばれて生まれたのがエリンだったのです。
彼女は実の祖父母にまで差別を受け、祖父によって目の前で母親を見殺しにされたこと、
自分もまたあっさり切り捨てられたことを決して忘れませんでした。
人々が共に暮らし、共同体を作っていくときに、必ず生じる掟。
それは、その共同体がうまく機能するために、どうしても必要なものでした。
そして、それぞれの掟に従って暮らすときに、その掟を守らない人や別の掟にしたがって生きる人は排除されました。
でも、その狭さは、自分たちとは別の知識や知恵を締め出すことにもなっていました。
「この世に生きるものが、なぜこのように在るのかを知りたいです」と書き、「獣ノ医術師」を目指したエリン。
それは、幼い頃に自分の存在を否定されたエリン自身の存在意義を探す旅でもあったでしょう。


エリンが王獣に向かい合うとき、差別のこともまた胸にあったはず。
「交わってはならぬ」と戒められていた掟を破って一緒になったエリンの父母と、
同じく「交わってはならない」はずの人(エリン)と王獣(リラン)が重なります。
彼女は、傷ついて母を求める幼獣(だったときの)リランに、幼くして目の前で母を殺された自分自身を重ねていました。
音なし笛で縛られ本来の性をなくし人間の奴隷となっている王獣に、
異民族の村でいわれなき差別を受けつつその才能を利用されていた母のことも思っていたのでしょう。
彼女は、後に、「掟」を厳重に守って生きる母の一族の人々に向かってこんな風に言います。
「音なし笛で王獣や闘蛇を硬直させるように、あなた方は、罪という言葉で人の心を硬直させている。そんなやり方は、吐き気がするくらい、嫌いです」
エリンには、掟の理不尽さ、不透明さもまた見えているのです。
そこに政治の思惑が絡んできたらなおさら。いやおうなく、巻き込まれていくエリンだったのです。


だから「掟」を排除するのか? 「くだらない・・・」とエリンは言う。「掟」は破るべきか従うべきか、そういうことではありません。
エリンは、掟の先にあるものを見つけようとしていました。掟を越えるものを。それは何なのか。そして、それは可能なのか。
でも、エリンは、その道を探していたのではないでしょうか。王獣と近く交わることによって。
そしてそのためにエリンは孤独であるしかなかったのでした。エリンは強い。孤独な、奈落に続くかもしれない道を自ら選ぶくらいに。
しかも賢く、まっすぐです。


物語を読み終えたあとに、エリンに関わった忘れられない人々の顔が思い出されてきます。
大切な言葉をエリンに託し、身を捨ててエリンを未来に送り出したお母さん。
穏やかな笑顔とともに思い出すジョウン。彼のまわりには安らぎがありました。
エリンの才能を認め伸ばし、命がけで守ろうとしたエサル。
イアルがまとった孤独はエリンに通じるものがありました。
そして、間接的(?)に関係を持った真王や大公の息子など・・・


最後が美しいのです。
この物語はまだ続きが在るのですが(図書館予約中です)、最初はこれだけで完結するはずの物語だったそうです。
それもいいなあ、と思います。
この先の物語は、私たち読者の胸の内にある、というのも。そして、最後のあの美しさの意味もまた、自分のなかでゆっくり考えてみるのも。
(この続きが確実に読めることがわかっているから余裕で言っているんですけどね^^)