アンジェラの祈り

アンジェラの祈り (新潮クレスト・ブックス)アンジェラの祈り
フランク・マコート
土屋政雄 訳
新潮クレスト・ブックス
★★★★


・・・どうも、ただのアメリカ人でいるだけじゃ足りないみたいだ。みんな、同時にほかの何かでありたがる。アイルランドアメリカ人、ドイツ系アメリカ人…・・・。「系」の字が発明されていなかったら、いったいどうするつもりなんだろう。
「アンジェラの灰」の続編です。
アイルランドでのみじめな子ども時代を経て、フランクは19歳で、夢にまで見たアメリカに渡ります。
様々な幸運不運に見まわれながらの彼の人生が始まる。
紆余曲折の回想録は、母アンジェラの死後、彼女の遺灰を故郷リムリックの墓地に撒くところで終わるのです。


「アンジェラの灰」に引き続き、とてもおもしろかったです。長い物語ですが、長さを感じなかった。ひたすら読みに読みました。
「アンジェラの灰」に比べれば、格段に暮らしはよくなっているのです。
スラムみたいなところに住んではいるけれど、働いてお金を得て、ぎりぎりだけどアイルランドに送金したりもしています。
働きながら大学も出るのです。
教師になって、最後にはアメリカ有数のエリート進学校で教えるまでになる。それなりの成功の手ごたえを掴んでいます。
突き放したようなユーモアは「灰」に引き続きあり、
みじめな描写も決してお涙頂戴にはならず、間違っても辟易とさせることがないのです。


それでも、「灰」とはちがうのです。「灰」にあったものが「祈り」にはない・・・
「灰」は、もうほんとにどん底。これ以上惨めな子ども時代はないだろう、という惨めさ。
それでもここには暖かな隣人たちがいて、愛情があって、それから夢があったのです。
いつかアメリカに行くのだ、アメリカで成功して、母や弟たちに、暖かくて、ひもじい思いをしないですむ生活をさせてやるのだ、
と夢みるのです。


祈り」には夢がない・・・
暮らしは楽になった。「灰」のころ夢見たことはみんなかなっている。
でも夢がない。
金曜日に一杯やっていこう、と同僚に誘われれは断れない。なぜそんなに断れないのか。で、結局よっぱらってしまう。
すごい美人のガールフレンド。みんなが振り返って見るような。やがて結婚。だけどなんとなくしっくりこない。
生まれが違う、育ちがちがう。彼女はけっしてフランクの育った世界を理解できないだろう。そして宗教もちがう。
価値観が・・・ちがう。
これは幸せなのか。
ニューヨークで暮らしながら、フランクはいつもリムリックの暮らしをなつかしんでいるのです。
二度と戻れない、戻りたくないはずの惨めな少年時代を・・・


アメリカでの生活はある意味少年時代より惨めに思いました。
皮肉なことに望んでいたものが少しずつ手に入ってくると(もちろん上を見ればきりがないけれど)少しずつ不幸になっていくような。
生活の余裕ができて、不幸(?)を感じる余裕まで生まれてしまったような。
不幸、とまではいかないかもしれません。でもなんとなくしっくり来ない何か。
それが大人になる、ということかもしれないけれど・・・


それにしてもやはりこの著者は魅力的なのです。
この物語がこんなに魅力的なのは自分の弱さをさらけ出しつつ、相手の弱さを思いやるところ。
偏見のないあたたかい心が感じられるところ。
ことにみじめな境遇の人たちに対する静かな共感にはあちこちで暖められる思いでした。


印象に残っているのは倉庫で働いていたときに出会った黒人の同僚。
彼は息子をカナダの大学にやるために身を粉にして働きます。
そしてフランクが読書家であることを知り、大学へ行くことを進めます。
フランクは彼を父とも慕うのです。
気の荒い白人同僚たちから、からかわれ蔑みの言葉を浴びながら。


この本を手にとったとき、中学しか出ていないフランクがどうしてニューヨーク大学を出て、学校の先生になれたのか、
というスキャンダラスな興味もありました。
朝鮮戦争の後、アメリカで施行された「復員兵援護法」という法律があるそうです。
細かいことはよくわからないのですが、
この法律の特例措置により、また大学事務員の英断により、とりあえずニューヨーク大学に仮入学を許されます。
その年受ける講義の成績をすべてB以上に保つことができれば、正式に入学を許可する、というもの。
読書家でしかも文章力の優れたフランクでしたが、高校の知識だけではなく高校生活というものがすっぽり抜けていること、
倉庫で働きながらの学生生活は、並大抵のものではなかったようです。
面白おかしく書いていますが、これ、体力はもとより、すっごい精神力が必要だっただろうと思います。
そして、大学側の英断もすごいです。
ひとりの汚い青年がやってきて
「おれは中学しか出ていないが、ドストエフスキーもメルビルも読んでいるから大学に入れてくれ」と言われて、
「中学しか出ていないのにドストエフスキーを読む青年がいるのか」と仮とはいえ入学を許してしまうのだもの。
こういうおおらかさ、いいなあ。何の偏見ももたず、ただ相手のやる気だけを認める、という。
日本の大学にもこのくらいおおらかな姿勢があればいいなあ、と思ったりもしました。