ボン書店の幻―モダニズム出版社の光と影

ボン書店の幻―モダニズム出版社の光と影 (ちくま文庫)ボン書店の幻―モダニズム出版社の光と影
内堀弘
ちくま文庫
★★★★


>なぜ書物というものは著者だけの遺産としてしか残されないのだろう。幻の出版社といえば聞こえはいいが、実は本を作った人間のことなどこの国の「文学史」は端から覚えていないのではないか。
昭和7年ごろふいに現れたボン書店。モダニズムシュールレアリスムのさまざまな詩集や文献を鋭い眼力と芸術的手腕によって世に送り出す。まるで珠玉の芸術作品のような瀟洒でハイセンスな本をごく少数、採算度外視で作り続けた幻の書店。「むしろ一冊も売れないことこそボン書店の成功である」とうそぶくその自信。
そして、わずか10年足らずで姿を消すまでのあいだに、錚々たる詩人達の名が、若き無名の日に、ボン書店出版物に名を連ねている。北園克衛竹中郁春山行夫、荘原春樹、安西冬衛、岡崎清一郎、伊藤整、佐藤一英、吉田一穂・・・
今に残るいくつかのボン書店の出版物は、写真家坂本真典さんによって大切に写し撮られ、この本のページを飾ります。これらの本たちの手にとったら崩れ去りそうな儚い夢のような美しさ。それもただ華美に走ればいいというものではない。書物はあくまでも「作品のいれもの」であるとの考え方から、決して作品よりも立ってくることはない。(革装・金箔押しなどとんでもない)
ほんとにさまざまな方法で、時間と手間をたっぷりかけて、良い素材を吟味して・・・そして、文字の置き方ひとつひとつまで、(時に一冊一冊手作業で)、ページの裏に映る印刷のでこぼこの効果まで、考え抜いて作られた本。センスよくさりげない。
出版者がどんなに一冊一冊を慈しみ、愛おしんで世に送り出したか知れようというもの。

ボン書店とは何か。
自ら詩人でもあり、多分に夢想家でもあった鳥羽茂という青年が、理想を追い、編集から印刷、出版までをひとりでやっていたといいます。
でも、その経歴は限りなく謎であり、いつのまにか消えていく。嘗て親交のあった人たちには「どうやら結核で亡くなったらしい」と風の便りの残るのみ。
まさに彗星のように現れ、輝き、消えたのでした。

端正で淡々とした文章のなかから浮かび上がってくる一人の青年の理想と美しい夢と大きな自信。
草創期、鳥羽とその仲間達のモダニズム詩人たちの夢から、わたしはちょっと須賀敦子著「コルシア書店の仲間たち」を思い出していました。
夢と理想は限りなく大きく遥かで、時に地に足がついていないことにも気がつかない。でも浮ついているわけではない。みんな真面目に夢中で夢を語る・・・その姿が美しい。
不遜なほどの自信は若さからか。それだけではない。この写真の中にある本たちは、彼らの理想に燃えた実験。美しさを追求する冒険のようでもある。
しかし、鳥羽茂、そしてその仲間たち・・・肝腎な彼らの理想がいまひとつ見えてこない。それはあまりに切れ切れの消息しか知れないからでしょうか。鳥羽を深く知っている人はいまはいない。
鳥羽には未来の出版業界の奇跡が見えていたのかもしれませんが、あまりに早すぎる死のせいか、散漫なイメージしか残していないように感じました。
そして、忽然と生まれたボン書店は忽然と消え、その理想・思想・形がどこかに引き継がれることもない。
志なかばで消えていった鳥羽茂、無念であったろう・・・

この本の著者は詩歌書を専門に扱うこだわりの古書店の店主。
文学そのものではなく、その入れ物に注目し、ボン書店の軌跡、文学の黒子とでもいうべき出版人・鳥羽茂の人生を追い、細切れのあるかなしかの情報を繋ぎ合わせようとの試み。
わたしは、ボン書店より実はこの著者に惹かれます。
幻のように消え去った書店に心奪われ、古い新聞や雑誌の広告ひとつひとつに「ボン書店」の名を探し、当時を知る人を訪ね・・・そこに、夢を追いかける心の若さを見ます。

そして、この本が世にでて16年の歳月がすぎ、この本に「文庫版のための少し長いあとがき」が書かれた。
このあとがきの半ばくらいから、胸にこみあげるものをどうしようもありませんでした。
幻のように消えたのではなかった・・・(しかし、なんてなんて切ない。)もはや無念の思いはそこにはない。
林檎の木、梨の木。どんな思いがそこにあったのか。死に行く詩人の。
この「あとがき」は墓さえどこにあるか定かでない詩人にして出版人の墓碑銘でもあるか、と思いました。
今、緑なす森となった、かの里の木々のなかで梨の木がさわさわと枝をゆすっているのだろうか。