犬になりたくなかった犬

犬になりたくなかった犬
ファーレイ・モウワット
角邦雄 訳
文春文庫
★★★★


ヒルの雛といっしょに石鹸箱に入れられて子どもが売りに来た子犬。たった4セントでモウワット家にやってきたこの子犬がマット。
「ぼくとくらしたフクロウたち」でクフロのよきライバルであったあのマットでした。
マットとは駄犬の意味だそうで、これがまあ、ハシにもボウにもひっかからないような犬で・・・と思ったのは束の間。長じるにしたがって見事、名猟犬としての才能を発揮し始めます。
でも、マットが勇名を馳せたのは、猟犬としてだけではありません。
つまり、変な犬なのです。いえ、変な犬、というか、どの犬も(人も)、きっと付き合ってみれば、それぞれに忘れがたい癖の一つや二つ、すぐにみつかるに違いないのですが。

このマットを初め、作者が関わった動物達とのおおらかなユーモアいっぱいの物語。これは、カナダの大自然の中の生活だからこそのおおらかさと笑いでもあるのです。うらやましくなってしまいます。
マットの引き起こすおかしな事件、亦はマットをめぐる人間達が引き起こす奇妙な事件の数々に思わず声を上げて笑ってしまうのです。
大量の青い洗剤で洗ったために凄い色になってしまったマットの話が印象に残っています。マットが通りを通るたびに人々の肝を抜き、動物虐待ではないか、との汚名を着せられる家族も気の毒ですが、その誇りを傷つけられたマット本人の表情の描写がとっても楽しい。
塀歩きも木登りもそのたゆまぬ自主トレ(?)の成果で習得し、近隣の猫達を脅かす存在となるあたり、うう、犬の限界を超えています。
犬の限界を超えるって点ではこちらのエピソードも。防塵眼鏡をかけてボートに乗って、大好物のサクランボを食べ食べ、その種を湖に飛ばす犬が、同乗者にどんな風に映ったことか。

「ぼくとくらしたフクロウたち」では完全に脇役だったマットですが、実はこんなに個性的で愛すべき性格だったのですね。
そして、作者の動物達に対する愛をまたより一層感じたのでした。
作者にとって動物達は親友であり、兄弟なのでした。まちがってもペットではなくて。

しかし・・・
あのフクロウたちの最期、マットの最期まで、この本の中には描かれていたのでした。
そうだったのか。
とくにウォル(クフロ)の最期は、切なかった。
愛する動物達との別れが作者の子ども時代との永遠の別れとなっていきます。
暗いトンネルの入り口、という表現を作者は使っています。
たとえ、この後は暗いトンネルを通っていくのだとしても、子ども時代をこのような喜びの中で送ることができた作者はどんなにかすばらしい(目に見えない)財産の持ち主であったろう、と思うのです。