猫の客

猫の客猫の客
平出隆
河出書房新社
★★★★


平出隆さんの私小説。私はエッセイと私小説の違いがわからないのです。
・・・まあ、いいや。カテゴリーがどうか、じゃなくて、おもしろいかどうかが問題なんだもの。
で、やっぱりおもしろかったんだもの。


平出隆さんは詩人。詩人だからこその選び抜かれた言葉遣い、感性が素敵です。
ときは昭和の終わり、まさにバブル全盛から、はじけるかな、という時代。
このがちゃがちゃとした騒々しい時勢にあって、
作者夫婦が借家住まいをするその家もその界隈もなんとしっとりとして静かなことか。
まるでどこか異世界にもぐりこんだような路地。端正な日本家屋。借景の日本庭園。
母屋の老家主夫妻との付かず離れずの心安い交流。
詩人夫妻の住む古い家(家主夫妻の宅地の一角の離れ)の佇まいもすてきで、
特に、映写室のほの暗いスクリーンのよう、と喩えられる台所の小窓の描写に魅せられます。
通りを行く人がさかさまに見えるというその窓をのぞいてみたい。
稲妻小路と名づけられたあのちまちました路地にわたしも迷い込んでみたいと思います。
ケヤキの木を目印に、あの古い庭を訪ねてみたいとも思います。


そして、狂奔する時代を背景に、対をなすように、ひっそりと暮らす詩人夫妻の静かな生活。
そこにひょんなことから飛び込んで来た猫のチビは、隣家の飼い猫。
このチビと、詩人夫妻の心の通い合いがよいのです。
決してべったりしたつきあいではない、一度も抱いたことはない。
猫なりの自由を確保しながら、べたべたしない愛情に満ちた日々。
淡々と描かれるそれらの断片から、猫のかわいらしさがひきたってくるのです。
この猫への愛情のせつなさは期限付きだから。
やがて引き払わなければならないこの生活の期限が、この猫との交流の期限であることを知ります。
その寂しさ、やるせなさを下敷きにしながらの愛情はしみじみとせつせつと沁みてくるのです。
悲しみと愛しさは表裏一体なのだなあ。
それにしても猫と作家ってどうしてこんなに似合うのでしょうね。内田百輭夏目漱石も・・・


さてしみじみと、亦は淡々と読み進めてきて、最後の一ページ。これは、何が言いたいのでしょう。
これは一体・・・急にミステリになってしまっている?
ああ、でも確かめようもない。

>それから先は、時間の闇に呑まれるようである。
でも、もしかしたら・・・
だからあのあと隣家の人たちは・・・
考え付くさまざまなことが頭の中をぐるぐる。妄想炸裂。です。