ミラクル

ミラクル
辻仁成
望月通陽・絵
新潮文庫
★★★
 

  >そろそろ気がつかなくちゃ。パパだって苦しいんだよ。
   君がママの話をする度に、嘘を重ねなければならないんだから。
   気づくのは子どもの義務なのよ。
   気づいてあげないと大人たちはずっと嘘をつきとおさなけらばならないんだからね。

  >(幽霊に)頼らなくなったら自然に見えなくなってしまったの。
   今思えば(幽霊と)別れた頃から、いろんなことがわかってきたわ。

  >人間は現実の世界でしか生きていけない動物なのさ。
   子どもの頃のことは皆大人になると忘れてしまうんだ。
   どんどんそういう純粋な記憶は薄れていってしまうものさ。
   ・・・・・・・
   そうじゃないと人間は過去に支配されて、未来を求めなくなってしまうからな

 大人になることはなんと散文的なんだろう。懐かしいもの、美しい不思議なものを失うが、同時に、子どもとしての悲しみも不安もなくなるのでしょう。だから大人はめったに泣かない。

少年アルの「ママ」はもう死んでしまっていました。最初からいませんでした。
アルは、ママの死を知らされていません。ママは遠くに働きに行っているというパパのうそを純粋に信じるアル。
アルはやがて物心ついて、ママをさがしはじめます。彼なりの方法で。
アルへの父親の愛情。目に見えない友達の友情。そしてアルの純粋さ。
・・・雪の降らない冬のあまりにも寂しくて殺風景な世界のなかでは、
きらりと光るこういうものが、ことのほか美しくて、ほかっと心を温めてくれます。

静かでゆっくりと語られる文章。
そして、添えられた絵は一筆書きのようで、無駄のないまっすぐさとやさしさと・・・寂しさが満ち満ちていました。
アルの孤独が白いページいっぱいに広がって、せつなくて。
  >「ママっていったい何?」・・・「例えばママは許してくれる人だな」
この「ママ」の定義。「許してくれる人」かあ。そうかもしれない。それが母親の一番重要な仕事なのかもしれない。「最後は許す」

・・・でも、正直言ってこの本を読み始めたときは、たいした期待はしていませんでした。
だって「大人のための童話」とか「大人になると失ってしまうもの」とか「見えないもの」とか・・・これらのキイワードを使った類似作品、たくさんありますもの。
で、そこそこ「いい感じ」に浸らせてくれて、その実、忘れるのも早い、という・・・そういう作品を想像していたのですよ。
ラストの数ページ手前までは・・・

この物語の中で少年は大人になる。
上で語られていたのとは違う側面から大人になる。
こんなふうに大人になれたら。そうだよね。こういうふうに大人になれたら・・・

「ミラクル」・・・雪が降ったら奇跡が起こる。それはパパの「嘘」からでたものだったけれど・・・クリスマスに本当に雪が降りました。
クリスマスの奇跡。
この奇跡は意外な方向から思いがけない形でやってきたのでした。

  >奇跡とは目に見えるものではなく、心の内側にふる雪のようなものかもしれない。
   それはやがて積もり、春の訪れとともに溶けていく。
最後のページのこの言葉。「ミラクル」が起きたあとに記されたこの言葉こそ、この本全体を濃縮したメッセージだったのか、と思うようです。

望月通陽さんのあとがきがよいです。
この本を介した辻さんと望月さんの関係がそのまま「ミラクル」だったんだ、と感じました。