ノルゲ

Norge
ノルゲNorge
佐伯一麦
講談社
★★★★


初めて読む作家ですが、目次をざっと眺めて、各章のタイトルに惹かれました。
 一、蜂たちが戻ってくる、戻ってくる
 四、極夜 
 五、少年は船に乗って 
 九、谷間に夜鶯の声が
 ・・・・・・・

私小説です。〈私小説とエッセイの違い、境界がわかりません・・・)
染色家の妻の美術学校留学に同行した作家のノルウェイでの一年間の記録です。

作家は仕事をしているのですが、その日々はとてもゆったりとしていて、虫の羽音、鳥の声などに耳をかたむけつつ、北欧のダイナミックな自然の移り変わりのなか静かに気ままに過ごしているようです。
さまざまな人々〈妻の同級生たち、他国から働きに来ている人々〜ノルウェイにこんなにたくさんの外国人が住んでいたことにオドロキ)との交流も、語学学校での人種差別・理不尽なからかいも、生活の不便や病気、芸術について語ることも、なんとさらっとしていて、「おれ」という一人称で書かれながらも、私小説というか・・・まるで他人事?と思うような距離感――遠さなのです。
もともと「妻についてきた」という立場の「おれ」〈語り手)なので、この国に滞在するも無目的で、日常から離れたoffな感じ。ある意味大きな休暇のようにも感じました。
それが、この本の文章が、どこか他人事っぽい感じを受ける理由かな。
また、この「おれ」がナイーブな感じで、もしかしたら、あらゆる事柄に、感情的にのめりこみ傷つくことを嫌っているのかもしれない、とも思ったのですが・・・失礼かな。
ノルウェイという国がそういう雰囲気なのかもしれません。人口が少なくて、何週間も交通機関がストをやっても、市民は落ち着いてわりと平気だったり・・・
このシラッと突き放した文章。冷たくて穏やかで、静かな感じは、気持ちいいです。北欧の澄んだ冷たい空気の匂い。

実は、この「おれ」は、破綻した一回目の不幸な〈すさまじい〉結婚生活、病気再発の不安など、過去にすごく重いものを持っている。でも、それを語るときも、どこか他人事っぽくて、この遠くから眺めるような独特な文章のうちに、この静けさの中に、すうっと溶け込んでいるのでした。

作中、「おれ」が読み、訳していたヴィソース作「The Birds」と言う作品は本当に存在するのでしょうか。
この本の中にたくみに挟みこまれ引用されるこの作品の主人公マティスは、〈作中でも語られるが)まるで、「おれ」本人のようです。そう思うとどんどん作者とマティスがリンクしてきて・・・不思議な感じでした。もしや佐伯氏自身の創作では?と思うほど。(・・・この本ほんとうにあるなら読みたいなあ。すごく好みの雰囲気なんだもの。)
また、「The Birds」という本を紹介してくれたのは、同じフラットに住むリーヴという若い女性なのですが、彼女とはいつも洗濯室でだけ会い、洗濯しながら、ゆっくりと会話をする。この関係もなんだか不思議でどこか現実離れしているような静かな時間・・・これがよいのです。まるで「The Birds」の一場面であるかのような・・・ちょっと時間がとまったような・・・リーヴと言う子も不思議な雰囲気の持ち主なのですよね。とても考え深く、魅力的だけれど、たぶん、この子には現実の生活のスピードはかなり苦しいんだろうなあ、と思う。

現実の、鳥の声に囲まれたノルウェイの今。
作家の重たい過去。
「The Birds」の世界。
これらが縒り合わさって独特な空気をかもし出しています。
静かで突き放したような言葉たちが心地よいです。



  >最近はこんなことを思うの。
   人生は、経糸緯糸の織りなすタペストリー、って歌の歌詞にもあるように、
   しばしば織物に喩えられるでしょ。でも、『織り』と『編み』とはちがうって。
   『織り』は経と緯の二本の糸で構成させるのに対して、
   『編み』は一本の糸だけで平面を生み出す。
   一度進んだら後戻りできない『織り』と、もう一度ほどいて再構成することもできる『編み』。
   『織りの人生』というものがあるならば、『編みの人生』というものもあるんじゃないかしらって。

作家の妻の言葉が心に残っています。編みの人生ってどんなものだろう、と・・・一本の糸を膨らませていく人生・・・それは豊かな広がりを感じるけど、そして、確かに何度も再構成できるかもしれないけれど、ひとたび解いたら何もかも無くなる脆さもあるように思えて、こわくなります。
この作品も、作家の微妙な心のバランスの上で編まれている繊細な編み物のようにも思えました。