黒グルミのからのなかに

Kurogurumi
黒グルミのからのなかに
ミュリエル・マンゴー 文
カルメン・セゴヴィア 絵
ときありえ 訳
西村書店
★★★


死神の大がまによりかかるような少年の後ろ姿。
少年と大がま。このアンバランスな関係。
表紙の小さな写真を見た瞬間から、どうしても手にとって見たい、読んでみたい、と思っていました。

ポール少年は、浜辺で大がまを持った死神に出会います。
病気でもうすぐ死ぬおかあさんを救うため、
ポールは、大がまを奪いとり、死神を黒グルミのからの中に閉じ込めて、海に捨ててしまいます。
すると、おかあさんは元気になりましたが、次々、困ったことが起こり始めます・・・

このお話はいったいどうなるのだろう、と思っていたら、こんな収まり方をするのですね。
冷たく不安な感じの表紙でしたが、最後のページは、ほーっと温かかった。

ほわんとした(=天然ボケの)うちの子たち(とその母)、死について話したことってあっただろうか。なかったんじゃないかな・・・。
あ、ある。
真面目な顔して「おかあさん死なないよね?」としつこく聞いてきたときがあったっけ。
「お母さん、死なないよね?」と聞いてきたとき、わたしは、一生懸命子供の頭の中から「死」という言葉を消そうとばかり考えていました。
明るいほうへ、光のほうへ、影は見なくていいんだよ、という感じで。
私自身が「死」が怖くて不安で、でも考えてもしょうがないから考えない。で、そういう自分に自信を持てなかった、ということかもしれません。

「死」はだれにでもやってくる。必ずやってくる。それがあたりまえのこと。
そういうことを認めて初めて、自信を持って「生」のほうに顔を向けられるのかもしれません。
それは、「考えてもしょうがないから考えない」ということではなくて、
ふだん忘れていてもちゃんと居所は知っている、ということ。
目をつぶるのではなくて、ちょっと振り返って存在を確認して、「ああそうだ。それでいいんだ」と、うなずいてみること。
・・・なかなかそんな境地にはなれないけど。そう思うようになるまでに、私は100個くらい胡桃の殻が必要かも。

ある日、死神にあって、「これからお前の親のところに行く」なんて言われたら、わたしならどうする?
やはり戦っちゃう。
頭のなかまっしろになって、前後の見境なく戦ってしまう。さもなきゃ、地面に突っ伏して懇願するかな? 
あと困るんだぞ〜、とたとえわかっていても、そんな理性ふっとんじゃう、きっと。・・・残されるものの気持ちだろう。自分本位なわがままかもしれない。「置いていかないで」という・・・
でも、死んでいく人と死神とはとっくに了解しあっているのかもしれない。「あの人が王国にわたしをつれにくる」と。
それでも、大切な人たちのその日が一日でも遅いようにと祈っている。

静かな語り口のお話で、「あれ、昔話みたいな感じ」と思っていたら、やっぱり。
スコットランドの民話をもとにしているそうです。

あまり難しいことを考えず、心地よいお話のリズムと落ち着いた色合いに身をまかせて、ゆったりと楽しんでいいんだとおもいます。
昔話の楽しみがたくさん詰まっているんだもの。