『魔女は夜ささやく(上下)』 ロバート・マキャモン 

17世紀、まだアメリカがイギリスの植民地だったころ、魔女が信じられ、魔女裁判もめずらしくなかったころ。
舞台は南部の、開発途上の町ファウントロイヤル。ここは、森や沼にかこまれ、周囲から隔絶された土地。
まがまがしい事件が続き、町は滅びる寸前。何人もの目撃者の証言により、魔女が投獄されていた。この魔女の裁判のため、大都市チャールズタウンからウッドワード判事とその書記マシューが到着する。
容疑者レイチェルは混血のとても美しい女性だった。彼女は果たして本当に魔女なのか・・・

魔女のわけないでしょう。無実に決まっている。
ところが、状況はどう考えても不利。町の人々は頭からレイチェルを魔女と決め付け、彼女を法律に則って火刑に処すことを切望している。こういう状況で、「無罪」なんてことになったら判事と書記はこの町を無事に出られるのかな、と不安になる。
この迷信的な設定が、時代の暗い雰囲気を表している。
そして、人間の描写がすごくて、ひとりひとりを微細に描きながら、その集団の怖さをしっかり浮き彫りにしている。それがとても怖い。
町の人々は、法的な手順を踏んできちんとした裁判を、判決を、と望みながら、内容は魔女裁判。しかも「有罪」以外の判決は最初から存在しないに等しい。この平衡を欠いた感覚も、寒々と怖い。
そして、誰がいつ魔女として告発されてもおかしくない、、という状況の恐ろしさに改めて慄然としてしまう。
なんともいえない雰囲気だ。

前半は、このアンバランスさの毒気にあてられて、また先行きの暗さに、読書は遅々として進まなかった。
それが後半、四面楚歌のなか、レイチェルの無実を信じ、執拗に謎を追うマシューからもう目が離せなくなる。

また、あとがきにあるように父と子のドラマでもあると思う。 最後に判事を失うことになるにしても、子が成長するために(精神的な)親殺しが必要なことを思えば、青年のまっとうな成長物語でもあったと思う。
ラストも爽やかに気持ちよく終わっているし、かなり、おもしろかった。

ただ、以前読んでよかった「少年時代」とどうしても比べてしまう。
「少年時代」では、魔法が輝かしく、理知の世界から独立して温かく存在していたのに対して、
この本に出てくる魔法は迷いごとであり
、屈服させられるものだ。

「少年時代」の雰囲気を期待していたので、ちょっとあてがはずれました。