『わたしのおじさん』  湯本香樹実

風が渡る不思議な草原。
ずっとむこうにみえる大きな木まで歩いていって、そこで“わたし”はコウちゃんに会った。
どこだかわからない不思議な場所。ここはどこだろう、どういう場所だろう。

  >灰色の雲。そのむこうに少しだけのぞいている、薔薇色の空。
   遠い遠い空。
   ここにあるものはすべて、草の葉一枚にいたるまで、
   わたしのおかあさんでできている。 (p18)

生と死。(湯本香樹実さんが描く老人と子ども。死に一番近い人と生に一番近い人、という意味なんだ、と不意に思いました)
まちがえたら不遜にしかならないテーマをまっすぐに、そして、わたしたちにとって一番近くて一番遠いイメージを言葉にしたら、こんな静謐な世界が生まれたのかもしれない。

灰色の雲、ときどき降る苦い雨。
  >「結婚して、あの子はずいぶん明るくなった。・・・
   今は『しあわせいっぱい』って感じじゃなさそうだけど・・・
   誰だってちょっと怖じ気づくことはあるんじゃないのかね」
おかあさんは何が不安だったのだろう。何をひきずっていたのだろう。
この本のなかにほのかに書かれたあれやこれや。書かれていないあれやこれや。
それでも、新しい命が遠いどこかからこんなふうに呼びかけてくれるのだよ。
  >「おかーさーん、どーしたのー」
涙が出てしまう。

そして、新しい命に出会うその前に、こんな穏やかで心楽しい時を迎えるのか。
それは、やはり遠いどこかで、繋がろうとして、一歩一歩踏みしめるようにして、洞窟の奥まで訪ねてくれる存在があるから。

ここで無邪気に遊ぶ。
死んでしまった子と、これから生まれる子。そして今まさに生きている(そして本当は大人になっている)子。
この3人の強い結びつき。

わたしも、生まれる直前にこんなところにいたのだろうか。わたしと深く繋がる誰かとこんなふうに無邪気に笑ったりしたのだろうか。
生と死がほどよく合わさった不思議な世界で、崖から覗き込むようにともに生をみつめたりしたのだろうか。
わたしが新しい名前をもらうことをこんなふうに喜んでくれたのだろうか。
高い高い崖から飛ぶ、その勇気がくじけかけた時、こんなふうにやさしく諭してくれた人がいたのだろうか。

そして、いつかわたしもそこへ行くのだろうか。
ふつうにカレーを作ったり、ゆったりとだれかとても愛しい人たちと「七並べ」なんかやったりするのだろうか。
この世で残してしまった後悔をあちらで、償うこともできるのだろうか。
さりげないことばとしぐさで、これから生まれる命を祝福するのだろうか。

知らないけど知っているような気がするだれか。どこか。心地よい安堵とやるせない寂しさが、しーんとした静けさになったような世界。胸がきゅんと痛くなる。でも、それがきらいではない。むしろ心地いいのです。
まるで夢の世界のようにぼんやりとした話、と思っていたが、読み終えて、光が射したように感じました。生と死が繋がった輪のように思えたから。
植田真さんの絵もとてもよかったです。この世界と子供達の姿、この絵以外には考えられませんでした。

物語、というよりも絵本のような珠玉の作品。大切に持っていたい本です。実は一読しただけではまだまだわからないところがあって、(わからなくてもいいんですが、)一度では味わいつくせないような感じです。