『ダルシマーを弾く少年 』 トア・セイドラー 

19世紀のアメリカの小さな田舎町。
ひとりの男が一軒の家を訪れ、ふたのついた柳行李を手渡して、去ります。
その中には、小さな双子の男の子が眠っていたのでした。
この子達の唯一の財産であるダルシマーという楽器とともに。

美しく不思議な雰囲気のある、寓話性の大きい物語だとは思うのですが。

始まりは、どこか時代や地域を越えているような感じで、突然ある一家に柳行李に入った赤ん坊が届けられることやこの二人のなんとも神秘的な育ちと、二人の不思議な絆、、子どもとダルシマーが惹かれあうさま、など、ファンタジーっぽいなあ、と思っていたのですが、
突然、都会の港町の酒場に舞台が移り、現実味をおびてきます。これはこれで美しいのですが、物語前半とのギャップを感じてしまいました。

正直、わたしには合わなかったみたいです。

ふたごの片われは、言葉を話さず、兄と会話するときには、葉っぱに書きます。一枚の葉に一単語。何枚かつなげて短い文になります。
これが物語のなかで、かなり重要なことなのですが、
並べようによっては別の意味になってしまう、昔の英語のテストの“並べ替え問題”を思い出してしまい、ちょっと苦笑しました。

少年がダルシマーを弾くと多くの人が感動します。鳥たちまでもが彼についてくるのです。ファンタジーや童話であれば、この設定は、充分説得力があると思うのですが、この物語では、どこか宙ぶらりんな感じがして、なんだか伝わってこないのです。ろくに練習をすることもない、ある種の天才なのかな、と妙な解釈を入れたくなります。

狭い世界から広い世界へ。自分の足で立つこと。自分の扉を開くこと。
ラストシーンの主人公の少年の力強さはよかったです。
考えてみれば、最初からこの子は、「逃げる」という手段を選んでも、それは、「逃避」ではなく、自分を守るためでしたから、いつも前を向いていたのですよね。

でも、訳者のかたは、あとがきで、「普遍的なテーマにまで達した『こどもの本』は、一篇の上等な詩のように、大人の心に響くことがあるのだ」と言われているが、この作品がそういうものだ、とは、あまり思えませんでした。正直、もっといいものが沢山あるように思えます。
でも作者が27歳、ということですので、これからの人なのかな。
後世うんと素敵な本を書いてくれるかもしれない。そのとき、この「ダルシマーを弾く少年」を再び取り出し、「うん、この本のなかに才能の萌芽を感じる」とかモットモらしいことを言いたいと思います。