くまとねずみが、一つの家で、その床の上と、床下に住んでいます。同居人、といえるでしょうか。
くまは、先祖代々伝わる空飛ぶじゅうたんを持っていました。おじいさんのおじいさんのおじいさんのおじいさんが空をとんだという赤いじゅうたん。しかし、もはやほんとうに飛ぶかどうかたしかめようもなく、(代々のくまたちは、ためしてみる勇気もなく)、現在のくまに譲られた遺産。
くまは、自分がいつかこのじゅうたんに乗ってみる、その勇気が訪れる日を待ちながら生きています。
そして、ねずみはそんなくまを知りながらも、平凡な日常を大切にして、仲良く暮らしていました。
そして、そのいつかがやってきました…
くまが決心をかためてから飛ぶまでの描写が見事です。
>「けっしんがつくってどんなきもち?」(とねずみに聞かれて)
「こちんこちんのしんぞうが できあがるみたい」 (p34)
>どんどんあるくと、
こちんこちんのけっしんが からだのなかであっちこっちにぶつかって、
からだじゅうが けっしんだらけになったようにおもわれました。 (p38)
>(いざってときに、気持ちがなえて)
ぐにゃぐにゃになったくまは ぐにゃぐにゃっとすわりこむと、
ぐにゃぐにゃとよつんばいになって、
あかいきれのうえに ぐにゃりとすわりこみました。 (p44)
>(いよいよ飛ぶとき)
くまは ものすごいかおをしていました。
まるでくまみたい! (p50)
勇気ってなんでしょう。
くまにとって「飛ぶ」ということはなんだったんでしょう。
あそこで飛ばなければ、一生、「いつかいつか」と焦燥感に狩られ、自分の勇気のなさに自己嫌悪しながら生きていったのでしょうか。だとしたら、ふっきれたぶん、飛んだことは意味があったのでしょうか。
佐野さんの皮肉な目を感じます。
ここ一番の勇気にもいろいろあるよね。
とんでもない相棒を持っちゃって苦労するね、とねずみに同情したくなります。
そうだ、この本の本当の主人公はもしかしてねずみ?
くまを見守りハラハラし続けるねずみ、
逡巡して部屋を歩き回るくまをじっと見守り、「ひだりまわりが、きのうより 一かい、すくなかったじゃないか」というねずみ。
くまに持たせるため自分の一番上等のチーズを持ったまま、追いかけることもできずに呆然と見守るしかないねずみ。
そして、じっと待ち続けるしかないねずみ。
かしこいねずみ。
>「ぼくはすごいくまよりも、ぼくんちのうえを
どたどたとあるきまわるくまのほうが、すきだったんだ。
くまは、ねずみの気持ちを少しでも推し量ることができたのかしら、一生のあいだに。
あんな真っ白になっちゃっうほどの勇気(?)を出して、怖い目にあって、だけど、 ねずみのチーズを入れるだけのトランクをもたないくま。
「いまのいまがしあわせだね」とふたりでいうけど、それはねずみがエライからだ。
くまとねずみが全然かわいくない(というより、こわい)絵なのもいい。
絵も言葉も、すばらしい。
難しいことばは一切使っていない。子どもの本だよ、毎ページ大きな挿絵が入っているよ。
この軽さで深い世界をかたってしまう、佐野洋子。
「ふつうのくま」というタイトルの意味をあらためて「うーむ」と考えてしまいます。