病気でベッドを離れられないマリアンヌが絵を描くと、そのとおりの場面が夢の中にあらわれました。
草原の中の家の絵を描くとそのとおりに、その家のなかに男の子を描くとそのとおりに、夢の中にあらわれました。
夢の中で、その男の子マークと出会ったマリアンヌ。
マリアンヌは「家」の中に入りたいと強く願っていたし、マークは外に出たいと強く望んでいました。
眠りから覚めるたびに、絵に一つずつ、何かを描きたしていくマリアンヌ。
描いては夢見て、夢見ては描いて・・・
ある日、夢の中でマリアンヌはマークと喧嘩をします。
怒りにまかせて、マリアンヌは絵をひどいものにしてしまいます。
ところが、マークは実在する病身の少年だったのです。
マリアンヌが絵の中のマークに意地悪をした日から、実在のマークの病状が悪化します。死んでしまうかもしれない。
マークの回復を願ってマリアンヌは・・・
しかし、夢の中ではマリアンヌが描いた不気味なものたちがいつのまにか勝手に動き出して、恐ろしい存在になっていきます。恐怖の増幅・・・
不思議な物語でした。
「ポリーとはらぺこオオカミ」と同じ作者だというのがうそのようです。
訳者あとがきのなかに、
「ストーは、物語のかたちを借りて、重い病気にかかった子どもの心理を探りながら、同時に、肉体と精神、現実と夢、自己と他者などのかかわりのあり方を探っているのです」
と、あります。作者はもともと精神科医でした。
マリアンヌの夢の中には「これは何の象徴だろうか」と思うような示唆的な場面がいくつも出てきます。
たとえば、長年病気で歩く勇気を持てないマークの「外へ出たい」という言葉、とつぜん重い病気にかかって安静を強いられたマリアンヌの「中へ入りたい」という言葉。
やがて、夢の中で、二人の子どもが協力しあい、外へ出る方法を模索します。
歩く訓練から逃げて諦めていたマークを励まし、手を貸し、自分もまた自制を覚え、他者の心によりそうことを学んでいくマリアンヌ。
マークが少しずつ気持ちを自分の外部に向けて、努力し、小さな成功体験を繰り返しながら、自信を取り戻していく姿が、丁寧に描かれていて、うれしく共感できました。
これがすべて夢の中の話です。
夢と現実と、一体どちらがほんとうの世界なのかわからなくなります。
マリアンヌもマークも夢の中で、もう一つの現実を生きています。
目のある石は、大人のわたしでも、かなり怖くて不気味です。これは病気への不安の象徴でしょうか、それとも子どもたちの中にある恐怖心の結晶なのでしょうか。
またラジオだけがあるからっぽの部屋は何を現しているのでしょうか。
怖いのですが、どんどん引き込まれて、目が離せないのです。
暗闇の中、灯台のサーチライトだけを頼りにふたり逃げていく場面は息がつまりそうでした。
家から脱出。
そして、気持ちのいい灯台にもこのままとどまることなく・・・ ラストシーンのさわやかさ。
マリアンヌの精神的成長、マークの全快、しかもこのふたりは実際には一度も会ったことがないのです。
このふたりが、もうすぐ実際に会うだろう、という期待を持たせたさわやかなラストシーンがいいです。
一度読んだら一寸忘れられないような感じの不思議な物語でした。。