『モリー先生との火曜日』  ミッチ・アルボム 

  >多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。
   自分では大事なことのように思って
   あれこれ忙しげに立ち働いているけれども、
   実は半分ねているようなものなのだ。
   まちがったもの追いかけているからそうなる。
   人生に意味を与える道は、
   人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、
   自分に目的と意味を与えてくれるもの創り出す事。

今、こんな言葉を言われたら、たぶん引いてしまうかも知れない。
わたしは学生ではない、こういう言葉に感動する時はとおに過ぎた、と。

だけど、
これは、ある難病のため死の床にあるひとりの大学教授が最後の授業として、毎週語り続けた彼の授業なのだとしたら。
教室は病床。生徒は、16年ぶりに再会した36歳の元愛弟子ミッチ・アルボムただひとり。「憐れむより、君の問題を話してくれないか」という問いかけから始まった毎週火曜日のクラスであった。
そのクラスの回を重ねるごとに、ミッチの心は解放されていくよう。そして、モリーの体は少しづつ衰弱していく。
咳き込み、呼吸につまり、頷くことさえ困難になりながら、ひとつひとつの言葉を残していく。

彼の残した言葉はノートに書き写しても書き写しきれることはない。折に触れてゆっくりと反芻してみたい言葉たちですが、何よりも、モリーの、人生最後のその生き方が素晴らしい。
その最期の瞬間まで、真剣であり、冷静であり、大胆な冒険者だった。そして、何よりもユーモアを忘れなかった。
筋肉が動かなくなり、体動かすこともできない。手をあげることさえも。
最後には呼吸困難になり、残された日を数えるような日々。
そんな日々のなかで、人に会うことを喜び、何かをやってもらうことを喜び、人生を心から楽しんでいた。

楽しんでいたんです。
便器にまっすぐすわることもできない、そばにいるだれかに尻をふいてもらわなければならない。
病床のひどい臭気にもなれるしかない。
一日中横たわり、ひとりじゃ、鼻の頭に止まったハエを追うことさえできない、それが彼の日々でした。
そんな日々に、人生を愛し、一刻一刻を楽しんでいたのです。
心豊かに。教え子に人生を語ったのです。
ただ純粋に打たれました。
  >あなた方は、ほんとうの先生を持ったことがあるだろうか?
   あなた方のことを、荒削りだが貴重なもの、英知をもって磨けばみごとに輝く宝石になると見てくれた人を。
   さいわいそういう先生のもとへたどりつけた人は、きっとそこへもどる道を見つけられる。
   それは自分の頭の中だけのこともあり、その先生のベッド際のこともある。

『イルカの家 』 ローズマリー・サトクリフ 

女の子が主人公のサトクリフの作品なんて珍しいな~と思って手にとった本です。

大航海時代のイギリス。
ロンドンの鎧師のおじの家(ここが「イルカの家」)に引取られた少女タムシンは、故郷を懐かしみ、航海への憧れを胸秘めたまま、なかなか家族に溶け込めない。
だけど、この家族すてきなんです。無口だけど、やさしいおじさん。
太陽のように温かく、実の子と分け隔てなくタムシンに愛情を注ぐおばさん。
そして、大勢のやんちゃないとこたち。
この家族のなかで、だんだんにタムシンは心を開いていきます。

さて、今まで読んだサトクリフから押して、ドラマチックな展開があるはず、と期待しつつ先を読むうちに、いつしか半分くらいまで読んでしまった。
そこで、はじめて気がつくのです。
この本は、決してドラマチックな物語ではない、そのぶん、少女の日々が丁寧に描かれている。日々の喜びと希望、小さな出来事の積み重ねのなかで成長していく少女、そして少年。温かい家族のまなざしのなかで。

なかでも心に残るのは唯一ともに夢を語り合えるいとこのピアズとの、留守宅のキッドの部屋での「航海」
ふたりの豊かなイマジネーションにどきどきする。
ちょっとエンデの「モモ」のなかの円形劇場での子供たちの遊びのシーンを思い出す。
なんて豊かな想像力。作者サトクリフもまたこんな少女時代を過ごしたのではないか、と想像してしまった。

また、手仕事をしながら、子供たちを自分のまわりに集めてお話をしてくれるおばさんが好き。お話のシーンがとても好きだ。
「家族」の平和であたたかな光景。

ラストでいきなりドラマチックになる。
ああ、これ、クリスマスの本だ、クリスマスの嬉しくて温かい奇跡の本だ、とおもう。
物語だからこそ語れるこの最高のハッピーエンドに心がぐーんと上昇していくようだ。
なんとさわやかなラストシーンだっただろう。
光のなかで大きく開いた赤いチューリップがすばらしい。この花がタムシンの将来を温かく照らし続けてくれますように。(きっとね♪)