『農場にくらして』アリソン・アトリー

 

農場にくらして (岩波少年文庫 (511))

農場にくらして (岩波少年文庫 (511))

 

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古くから続く農場ウィンデイストーンは、森に囲まれた丘の上にあり、一番近い村から四マイルも離れていた。
建物は古く、エリザベス女王時代のもの(土台はさらに古いと言われる)
石造りの家の中心は、天井の低い大きな台所で、農場のみんなが行ったりきたりしていた。


「トム(父、農場主)はいつも良いこと悪いことに備えて暮らしてきました。与えられたものを受け取り、今日は失っても、また明日手に入れ、快活さを失わずにすべてを受け入れました。」
「マーガレット(母)の目は、まじめな、おちついた目でしたが、笑うと小さな光が輝き出ました」
そして、一人娘のスーザンがいる。スーザンは、九歳で、この農場の一人娘で、作者アトリー自身であるという。この物語はアトリーの自伝的物語なのだ。


農場から村の学校までは四マイル。深い森に隔てられていて、スーザンは登下校に、この森を通り抜けていく。
冬の帰り道は、月明かりをたよりに、またはカンテラをかざして。想像力豊かな(豊か過ぎて心配だ、と母親は思っていたのだけれど)スーザンは、木々の根元や茂みにひそむ「ものたち」の気配におびえ、だしぬき、やりすごしながら、道を急ぐ。
「スーザンは、また不信心になっていました。…神を畏れぬ異教徒のような喜びと、地球に対する愛に満たされました」
彼女の蔵書は四冊だけだった。彼女は読むことが好きで、四冊の蔵書に満足していたし、飽きることなく、喜んで何度も繰り返し読んでいた。
農場のまわりには、スーザンのほかに子どもはいなかったけれど、働き者の父、信心深い母、農場で働く人々、そして、馬や牛、羊、鶏たちがいる。それから、目に見えない友だちも。
スーザンは、農場の仕事や台所を手伝い、時々さぼり、見える友や見えない友と、彼女だけのやり方でおしゃべりした。
「動物たちの話は聞こえるわけではありません。目で話すのです。ところが、物や部屋や、木や畑や牧草地は、スーザンがとてもとても静かにして、耳をすましていると、安心して話します。スーザンはこういう友だちがたくさんいて幸せでした。」


ときには、迷信にふりまわされた。
自然の威力を見せつけられた。
不幸な事故もあった。
胸張り裂けそうな思いをしたこともあったけれど、そうした時も含めて、振りかえれば、スーザンの一刻一刻は、守られ、子どもでいられることの喜びに満たされていたのだと思う。


クリスマスの美しさ、サーカスがやってきた日、イースターや刈り入れ、感謝祭。一年のうちには何度か大きなイベントがあったけれど、物語に大掛かりな盛り上がりがあるわけではない。
去年、一昨年、十年前もそうだったのだろう。春夏秋冬が順番通りにやってくるように。
そうした約束事の中で、ただひたすらに暮らす人たちの日常の美しさ、当たり前さに、ほっとする。何かというとオタオタ、バタバタしてしまうヘッポコなわたしを、しゃんとさせてくれる。