『若い兵士のとき』 ハンス・ペーター・リヒター/上田真而子

 

若い兵士のとき (改版) (岩波少年文庫)

若い兵士のとき (改版) (岩波少年文庫)

 

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『あのころはフリードリヒがいた』『ぼくたちもそこにいた』に続く、三部作最終巻。
三冊の物語は、作者の体験に基づいて書かれた。「ぼく」は作者自身だ。


「ぼく」は、17歳で志願して入隊し、兵士となる。士官候補生として前線に送られ、左手を失う。除隊を覚悟したが、士官学校を経て、18歳で少尉になり、再び戦場へ。このころ(戦争末期)には、腕一本失ったくらいでは除隊にはならなかった。兵隊たちも人手不足だった。


故郷の町も空爆された。まずは実家であるアパートが、それから母が身を寄せていた祖父母の家が爆撃された。
「ぼく」の父まで、兵士として戦場に駆り出される。母や祖父は、軍需工場で働かなければならなかった。
これが、『ぼくたちもそこにいた』で、父親たちが、神に遣わされた英雄のように讃えていたヒトラーの始めた戦争だった。


「ぼく」の四年間の兵士としての体験が、短いセンテンスで、散文のように書かれる。
上官たちの支離滅裂で滅茶苦茶な命令はどう転んでも、重い罰にしかいきつかない。
いびりのような厳しい訓練。
戦場の惨たらしさ。
ユーモア混じりの語りに思わずほほえんでしまう。そうか、極端でぎりぎりの場所で起こることは、距離をおいて見ればおかしいんだ。紙一重なんだ。


死体、放置された負傷者。そして、どこまでも続く、避難民の群れ。
すでに軍隊が崩壊しかけていたころ、「ぼく」は、雨のように降る砲弾の町を、撤退命令をもうらうために、命がけで司令官のもとに向かう。
そのとき、
「この地獄のどこかで、だれかがピアノを弾いていた。大きな、せっぱつまった音をさせて弾いていた」
のを聴く。この箇所が、とても心に残っている。


この戦争で亡くなった多くの兵隊たちの父母、兄弟、妻や子どもたちのことを思っている。
かけがえのない人の死をどんなにしても納得なんてできないだろうけれど、せめて……それでも、せめて、祖国のために命を捧げたのだ、尊い死なのだ、と信じることができたなら。(それしかなかっただろうに)
このあと、ナチスの犯したとんでもない罪悪がはっきりしてくるはずだ。だれもナチスのために戦った兵士を讃えないだろう。わが子を、夫を父を、失った人の悲しみ、苦しみは、何処にも持っていきようがない。


もうひとつ気になったのは、あちこちにちらちら出てきた「ロシアの女」たちのことだ。奴隷労働のために連れてこられた人びとだろうか。(はっきりと書かれていないけれど)


訳者あとがきに、ドイツで出会った著名な研究者の言葉が紹介されていた。「リヒターはあの三作を書いて、筆を折っている。あれはそういう作品なんだ」
「そういう」に込められた、言葉にならない言葉を、わたしはちゃんと受け止められているだろうか。