『メジロの来る庭』 庄野潤三

 

メジロの来る庭

メジロの来る庭

 

 

買い物帰りの坂道の途中で休んでいるところを近所の人に「(荷物)お持ちしましょうか」と声をかけられる。
ひ孫(長女の孫)誕生の話も出てくる。
あとがきには、
「子供がみんな結婚して「山の上」のわが家に二人きり残された夫婦が、いったいどんなことをよろこび、どんなことを楽しみにして生きているのかを描く私の仕事は、どこまでも続いてゆく」
と書かれている。
庄野夫妻、ゆるゆると歳をかさねていた。


夫婦二人の住まいの庭に来る鳥たち、丹精した花々(それぞれに思い出あり)を愛で、夕食のあとにはハーモニカで唱歌を楽しむ、という日常。
ときどき、子どもや孫と待ち合わせての観劇や食事会、届く手紙を喜ぶ。


心に残る場面は、
テレビを買い替えることになったとき、これまでみていたテレビに「ありがとう」と酒をふりかけて送り出すところ。
お盆には、迎え火を焚いて「さあ、皆さんお入りください」と、送り火のときには「また来年来てくださいよ」と、玄関をあけて見えない人たちに挨拶をするところ。


この本には、「ありがとう」と「よかった」という言葉が、何度もくりかえし出てくるのだ。
老夫婦の日々は丁寧だ。静かに安らかに続いている。


でも、暮らしていれば、ほんとうは、日々、よいことばかりじゃないはずだ。
誰だって、いくつになったって、怒りや悲しみ、心配事は、次々寄せてくる。
それだから(それでも)目を転じれば、ありがとう、といいたいことや、よかった、といえることが、こんなにたくさんあるのだ、と知ることは嬉しいことだ。
わたしのささやかな暮らしのなかにも、ささやかなりのよいものは点々と見える。それらを、あちらからひとつ、こちらからひとつ、と大切に拾い集めていけたらいいなあ。


庄野潤三さん流をまねて言えば……いい手紙を書いてくださった。ありがとうございます。