『ウィリアム・ブレイクのバット』 平出隆

ウィリアム・ブレイクのバット

ウィリアム・ブレイクのバット


詩人のエッセイ、好きなものが多いなあ、と思いながら読んでいる。この本も好き。美しくて親しげに感じて。
短いエッセイばかりなので、一篇一篇が、手紙のようだ。
尊敬する友人が旅先から送ってくれる手紙をつぎつぎに読んでいるようだ。
間に挟みこまれる挿画は、旅先のスナップやさまざまなカード、机上や小物の写真など・・・それらが、一枚の絵ハガキのようにレイアウトされている。どの絵ハガキにも、ドナルド・エヴァンズの切手が貼られているのだ。写真や図版と呼吸を合わせているかのような絶妙な切手が。
大切な本『葉書でドナルド・エヴァンズに』(感想)が蘇ってくる。


ドナルド・エヴァンズを探す旅の話から始まった。
葉書でドナルド・エヴァンズに』で知った不思議な画家は、今はもういないけれど、それでもどこかこの世ならぬ不思議の国(彼がつくった?国?)にいるような気がする。
だから、平出隆さんの旅は、現実の土地を訪れているようで、たとえば通り一本外れた不思議の町を訪れているようだ。
ドナルド・エヴァンズの「女王」に会ったり、旅先の妖精じみた(と私は思った)猫に愛されたり。
そして、挿画の不思議で美しい絵葉書たちは、不思議の国から不思議な空間を旅して、私の手もとに届けられる。


野球の話、車の運転の話・・・この方は、こんなに気さくで愉快な文章を書かれるのか、とびっくりした。


野球、ルールもおぼつかない私だけれど、それでも、平出隆さんの野球話はちょっと違う、と思っている。
「それは打撃音とともに旅をもたらす魔法の杖である」という言葉や、野球のバットが白鯨になる話や、シカゴの太陽を打つバットの話など・・・一味違う、美しくて不思議な野球話が続く。
ことに「このチームが、私の野球人生の最後のチームだ」と言った大リーガーの言葉に、幸福感がこみあげてくる。愛すること、ただ好きである、ということがどういうことなのか、それを知っているということが、どれほどの幸福なのか、とつくづく考えてしまう。


アブソリュート・ビギナー=絶対初心者、車の運転についてそういう。
無能のライセンス、とか、インケン先生とか・・・笑って笑った。「ああ、天才的」という言葉、思いだし、今書き写しながらもくすくす笑ってしまう。
インケン、なんて言葉をタイトルにもってきながら、人を非難する話にはならない。だからカタカナ?
そういえば、この本のなかには他人を批判する件がないのだ。その気持ちのよさ。


暮れ方に見た「緑の光」、「初めての失敗」で消えてしまった美しい舟、そして写真と引き換えに失われた思い出の話など、一瞬のうちに手から離れて二度と戻ってこないものを慈しむ。
そうして、日々のなかにある芸術の見つけ方を教えてもらったように思う。