『ドクター・ヘリオットの 毎日が奇跡(上下)』 ジェイムズ・ヘリオット


ヘリオット先生は懐かしいダロービィの風景の中に帰ってきた。
そこには、戦争を経てなお、変わらない風景と人びとが待っていた。
たとえばリプレー農場のゲートは壊れたままだ。
最後に聞いた「すぐに直すよ、保証してもいい」というリフレーさんの言葉から、二年を経て、また同じ話を繰り返している。いつもの通りに。
まるでこの前の往診から一週間か二週間しかたっていないような具合。
いやになっちゃうじゃないの、うれしくて。
あきれたはなしも、迷惑な話も、時計の針がとまったままのようなのどかな田舎。
懐かしくて仕方のなかったものが、何もかもそっくりそのまま、先生と読者の私とを待っていてくれたのがうれしくて。
お帰り、ヘリオット先生。ただいま、ヘリオット先生。


一方で、変わっていくものもたくさんある。
獣医療の進歩は日進月歩。
そのために救われた命の喜び、そのために間に合わなかった命への悔い、そして、そこに巣食う得体の知れないものへの不安も混じる。
変わっていくもののさまざまな側面を眺める。
先生の家族や友人たちも変わっていく。
ファーノン先生の結婚、トリスタンの独り立ち、そして、子どもが生まれ、育っていく。
喜びと寂しさを連れて。変化の前では人は無力だ。それでも営みは続く。続いていくのだな、と思う。


ヘリオット先生はタフだ。
変わっていくものも、変わらないものも、そっくりそのまま喜びとともに受け入れて、今この時のあるがままをそっくりそのまま愛している。
だからこの本を読んでいてしみじみと満たされる。
人間は本当に無力だ。無力だからこそ、愛おしい。無力だからこそ、世界は本当に美しい。これからもずっと・・・と願う。