チボー家の人々(12)エピローグⅠ

チボー家の人々 (12) (白水Uブックス (49))

チボー家の人々 (12) (白水Uブックス (49))


11巻を読み終えて、少しぼんやりしてしまっていた。
まだ二巻残っているというのに、もう読み終えたような気がしていたし、この先何があるというのかとも思っていた。
しかし、エピローグに二巻。相当に分量のある小説一本分の重みではないか。


あの日からすでに四年が過ぎていた。
あまりにいろいろなことが変わってしまっていて、そして、おなじみの人々がまるっきり違う人になってしまったように見えて、
本当に四年しか経っていないのだろうか、と不思議な気持ちになった。
戦争は、人々の体も心もこんなにも変えてしまったのだ、ということを目の当たりにして、寒々となる。
穏やかな怪物のようにも見えて・・・薄気味わるくさえなるのだ。


アントワーヌは、南フランスの療養所にいた。毒ガス攻撃の犠牲になって、すっかり体を壊していたのだ。
伯母さんの死を知り、休暇をとってパリに行く。
そして、私はアントワーヌの目と耳と心で、嘗てのパリと、馴染みの人々と次々に会うのだが、そもそも、私の目であるアントワーヌの弱り具合はどうだろう。
自信に満ちて成功への階段を駆け上っていた彼はどこに行ってしまったのだろう。
戦争はまだ続いている。前巻を読み終えた時点で、何もかもが終わってしまったような気がしていたけれど、続いていたのだ。
そして、続いている、ということが、今、どこか別の世界の出来事のようにさえ思える静けさ。
過去を振り返り、「誰も彼もが若かった!」という言葉に、取り返しのつかない思いがこみあげてくる。

>誰も彼もが、自分たちの年齢を信じ、人生を信じて、将来のことなど何ひとつ知らず、おりからヨーロッパの政治家どもが、自分たちのために準備していた大動乱、一挙に自分たちの個々の小さな計画を吹き飛ばし、ある物たちにとってはその生活をすっかり変えさせ、人おのおのの運命の中に、破壊と悲しみをつみかさね、世界を、このさきはたして何年つづくかわからないような混乱の中におとしいれるであろう大変動を準備していたことなど、まったく気がつかずにいたのだった。


ジャックについて語るアントワーヌの言葉も心に残る。

>自分の性情と知性のすべてをあげて暴力の否定に終始していたあの弟が(中略)――そうした弟が、いったいどういう風の吹きまわしで、長年のあいだ、社会主義者たちによる理論的、計画的、そして冷酷な暴力を支持する気になったのだろう?
そして、それは、別荘での晩餐での、ドイツ軍の非戦闘員への攻撃の非道さを激しく非難するニコルへの問いかけに繋がる。
>「では、罪のない非戦闘員を殺すことが、若い兵隊たちを第一線に駆りたてるより、ずっと非人道的で、ずっと不道徳で、ずっと言語道断だとでも思っているのかね?」
ここにジャックがいたら・・・アントワーヌに寄り添いながら、ずっと思っていた。
星のように、ジャン・ポール。