エストニア紀行

エストニア紀行―森の苔・庭の木漏れ日・海の葦

エストニア紀行―森の苔・庭の木漏れ日・海の葦


情けないのですが、地図帳を開いてエストニアってどこにあるんだろう、と確認するところから始めた。
バルト三国の一つ。エストニア共和国。南に接するラトビア。北にはフィンランド湾。そこを渡ると、もうほんとにすぐフィンランドなんだ。
そして、梨木香歩さんは、コウノトリを追って、エストニアを旅したのか。


本の中から冷たい風が吹いてくるような気がする晩秋のエストニア
わずか10日間の旅で、毎日移動。限られた時間のなか、一日のスケジュールは次から次へとぎっしりです。
それなのに、読んでいてちっとも忙しい気がしません。
この本の副題は「森の苔・庭の木洩れ日・海の葦」そして、そこには、人や鳥…命あるものたちの営みがある。
ざっくりと言えば、有機的なものたちを訪ねる旅でした。
だから、過密なスケジュールなのに、過密だと感じないのかもしれない。
さらに、梨木さんの文章には、決して時間に追われる感じがないのです。


>じっとしていると、時々自分が人間であることから離れていくような気がする。人が森に在るときは、森もまた人に在る。現実的な相互作用――人の出す二酸化炭素や持ちはこぶ菌等が、森に影響を与え、人もまたフィントンチッド等を受け取る――だけでなく、何か、互いの浸食作用で互いの輪郭が、少し、ぼやけてくるような、そういう個と個の垣根がなくなり、重なるような一瞬がある。生きていくために、そういう一瞬を必要とする人々がいる。人が森を出ても、人の中には森が残る。だんだんそれが減ってくる頃、そういう人はまた森に帰りたくなるのだろう。自分の中に森を補填するために。


梨木香歩さんの中に森があるのでした。それはとても納得できる言葉だった。
梨木さんの多くの著作のあちこちから浮かび上がるあれらが、みんな梨木さんの森だったんだな。そう思った。
なんて豊かな森。
そして、このエストニア紀行は、梨木香歩さんが森を補填する旅だったのだ。


コウノトリは人の中に混じって暮らす鳥。なんだか梨木さんの森らしいではないか。
そして、コウノトリは渡り鳥。
梨木香歩さんは最後に自らも渡り鳥の目になって、地上を俯瞰する。その壮大で爽快なイメージに息を呑みます。

>祖国は地球。
梨木香歩さんは森を内包した渡り鳥。そして、この本を読んでいるわたしも、梨木香歩さんの目で地上を俯瞰している。
この気持ちの良さのなかで、森の苔や、樹の間から射す日光、海の匂いまで吸いこんで、豊かな有機的エネルギーが満ちてくるのを感じています。