問う者、答える者(上下) ―混沌(カオス)の叫び 2―

問う者、答える者 上 (混沌の叫び2) (混沌の叫び 2)

問う者、答える者 上 (混沌の叫び2) (混沌の叫び 2)

問う者、答える者 下 (混沌の叫び2) (混沌の叫び 2)

問う者、答える者 下 (混沌の叫び2) (混沌の叫び 2)


『混沌(カオス)の叫び』第二部です。第一部『心のナイフ』の感想はこちら
第一部で、とんでもない所に置き去りにされて、半年待った。待ち焦がれたはすの第二部なのに、遅々としてページは捗らない。
わかっていました、これが容赦のない物語だということは。でも第一部よりさらに追い詰められる。ショッキングな場面の連続。


第一部では、トッドとヴァイオラ、二人一緒に、恐ろしい追手から逃げていた。
敵は、はっきりと見えていた。
ところが、第二部に入った瞬間から、二人の少年少女は離れ離れになってしまいます。
そして、敵は・・・
さあ、敵はいったい誰なのだろうか。
誰一人(自分自身さえも)信じられなくなってしまうのです。


第一部の巻頭には、ニーチェの言葉が置かれています。

>怪物と闘う者は、
自らが怪物と化さぬように心せよ。
おまえが深淵をのぞきこむとき、
深淵もまたおまえをのぞきこむ。
この意味深長な言葉が、この本を読んでいる間じゅうずっと心を離れることはありませんでした・・・


戦時下・占領下にあって、
独裁者が、人々の心を麻痺させ、確実に支配下に置いていく、その手腕の巧みさ、リアルさに、読んでいて震撼とする。
恐ろしいのは、これらは作りごとではないのではないか、
実際に歴史の中に現れ、今も君臨している独裁者たちのあの顔この顔、そして、その下で暮らす人々のことを思い浮かべずにいられなくなるのです。
そして、作中の「民衆たちがいくら泣いてわめこうが、彼らは本当に自由を望んでいるわけではない」という言葉に、
自分の中にある脆さを突かれたようでぞっとするのです。
あまりにおぞましくて忘れられない幾つかの衝撃的な場面。
ことに、とても静かに黙々と進行していくあの場面。
血が流れ、叫び声をあげるほどの肉体的な苦痛よりも、
人が人であることを踏みにじることに何も感じなくなっていく心が、怖ろしくて怖ろしくて仕方がない。


では、独裁者に反抗することは「正義」なのだろうか。単純に「正義」といえるのだろうか。
正義とはいったいなんなのだろう、と詰め寄られたら、答えられなくなるのです。
だって、読者であるわたしにも、この世界の何が敵なのか、わからなくなってきている。
信じられるのは自分(主人公たち)だけ? いや、その自分(主人公)さえも信じられないのだ。


主人公たちが過酷な運命のもと、翻弄され、変わっていく様を見ながら、まるで息継ぎをするような気持ちで本を置いて顔をあげました。
とても一気には読めない。かといって、やめるわけにはいかないのです。
ほんとうに、ここまできて・・・やめるわけにはいかないのだ。
どんどん苦しくなっていく、信じられない場面はいつまでも続く。
いったい、これから先、この物語は、主人公たちを、そして読者をどこに導くつもりなのか、もう見当もつかない。
でも、ここまできたら、この物語が、いったいどこに帰結するのか、どうしたって見届けないわけにはいかないのです。
戦々恐々としながら。焦がれる思いで。複雑な気持ちで第三部を待ちます。