- 作者: ヴィスワヴァ・シンボルスカ,沼野充義
- 出版社/メーカー: 未知谷
- 発売日: 1997/06/01
- メディア: 単行本
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やさしい言葉で書かれた詩(だけど、決して感傷的ではない)は、その意味までやさしい(易しい・優しい)わけではない。
やさしくないし、曖昧でもないのだ。
やさしい言葉は曖昧を許さない。やさしい言葉は小難しい言葉より強い。
たとえ、これらの詩が書かれた背景を知らなくても、
(ポーランドという国の歴史を知らなくても、シンボルスカの人生を知らなくても、見える風景を知らなくても、そこで何が起こっているか知らなくても)
今現在、どこか別の場所にいる誰かの心に沁み入っていく。
この詩集は、味わう、というより、拠って立つ、という言葉のほうが相応しいような気がします。
>詩が好きといっても――
詩とはいったい何だろう。
その問いに対して出されてきた
答えはもう一つや二つではない
でもわたしは分からないし、分からないということにつかまっている
分からないということが命綱であるかのように
(『詩の好きな人もいる』より)
「分からない!」と言って、ぽんと何もかも放り投げるようなのとは違う。
(もっとも投げたつもりの「分からない」は大抵、いつまでも纏いついてくるものだけれど)
分からない、ということを、そう簡単に手放しちゃいけない。
簡単に「わかった」にしない。
いや、ちがうかな。「分からない」という言葉につかまらなければ、おぼれてしまうような切実さは・・・。
・・・きっと一番大切なことなのだ。「命綱」という言葉、簡単に出てくる言葉ではないよね。
何かが起こったとき、余裕がないとき、わたしは、とりあえず、それが起こったことを「忘れないようにしよう」と思う。
何を忘れないのか。
「分からない」ということを意識して、しかる後には、キチンと向かい合わなければ、「忘れない」は、きっと意味がない。
>夢が狂っているわけではない…忘れてしまうのが怖い、と思うのは、怖いと感じていられる余裕がある、ということかな?
狂っているのは現実のほうだ
・・・・・・
夢は忘却を恐れなくていい
(『現実』より)
忘れたくても忘れることのできないものがある。あるよね・・・
>誰もが祖国を持ちたがった平和ではなく、戦争と戦争の合間、という言い方をしていることが印象的。
そして人生を生きぬくなら
戦争と戦争のあいまにしたいと思った
(『様々な出来事の一つの解釈』より)
アウシュビッツのあったポーランドを思いながら、その合間ってことは、
戦争=ホロコーストの合間という意味だろう。
絶望ではない。気を抜くな、許すな、ということでもない。
では何?
ない、ない、ない、に抗議する=魂。
合間に生きたいと言っているあたりが、ただの合間にしかならない理由(のひとつ)かな。
魂、という言葉はただ一回。あいまと魂の隔たりは、ものすごく遠い。
『空』『詩の好きな人もいる』『現実』『憎しみ』『眺めと別れ』『様々な出来事の一つの解釈』が、ことに心に響きました。
池澤夏樹さんのあの本『春を恨んだりはしない』の影響もあり、気がつくと、震災後の暮らしと重ねています。