松居直自伝

松居直自伝 (シリーズ・松居直の世界)

松居直自伝 (シリーズ・松居直の世界)


大きな手の上に小さな手が重ねられた福音館のマーク(?)が好きです。
子どもの本って、こうやって子ども(小さな手)に届くものなんだなあ、と思うから。
大きな手は、母の手、父の手、保育者の手、そして、松居直さんの手のような気がします。
「絵本は子どもに読ませる本ではないと思っています。まず大人が子どもに読み語る本です」
という松居直さんの言葉がそのままマークになったようにも思える。


松居直さんのこれだけ系統だった自伝を読むのは初めてだった。


お手伝いさんが歌ってくれたわらべ歌、
おかあさんが読んでくれた「コドモノクニ」、
お父さんに連れて行ってもらった帝展、
青春期に影響を受けたたくさんの本・・・
あとになってみれば、そういうものが松居さんの血肉になり、のちの仕事の礎になった、と言えば言えるけれど、
ストレートに後年の業績に繋がるとは思えませんでした。
そして、ストレートに繋がらないのがよいなあ、と思った。
見えないところで、思った以上に大きな光になっているに違いない。
本以外の道にすすんでも、やっぱり(ことに自分自身が)心から納得される仕事をされただろう。


>まずは親が子どもに子守唄をもっと歌ってやること。子どもに意味などわかるはずはなく、「ねんねんころりよ、おころりよ」にも明確な意味があるわけではない。でも、言葉が大切なのです。歌ってる人の気持ちが伝わる言葉、それが子どもの生きる力になっていくのです。
何の気負いもなく、周囲の大人たちが全身で、松居少年に、こういうことを伝えていたのだろう、と思う。
大切に育てられた子ども時代だったのだなあ、と思う。
本の帯に書かれた言葉「目には見えない大切なものを育み伝える」
自身がそのように育てられた人であったからこそ、伝えられる力、言葉。


福音館入社後、子どもの本に携わるようになってからの物語はおもしろかった。
未知の世界、武器もなければ人もいない。
一歩一歩手探りで道を開いていく著者は、開拓者であり、探検家のようにも思えて、読んでいてわくわくした。
やがて、子どもの本の書き手・描き手たちの名まえ、出会いと本づくりのエピソードが、続きますが、こちらはまた別の意味でわくわく。
今では知らない人はいない憧れの作家たちも、無名の新人だったころがあった。
そういう名前が、次々、次々、炯眼によって見出され、世に送り出され、ぐんぐん伸びていく。
ことに、一年目の『こどものとも』各号一冊一冊は、作家・画家・編集者が渾身の力を尽くした挑戦だった。
創刊号『ピップとちょうちょう』、第二号『セロひきのゴーシュ』完成の裏にこんな物語があったなんて。
松居さんの作る子どもの本の世界はどんどん豊かに広く太くなって行く。
まるで、植物が小さな芽を吹き、どんどん伸びて、やがて森になっていく様子を、早回しで一気に見ているようだった。
日本の、子どもの本の世界は、森のようだ。この森は人によって生まれ、育てられて、こんなに大きくなったのだ。
ふと思う。
自らを編集職人と言われる松居直さんがいなかったら…この森は今、どんな森になっていただろうか。