八月の光

八月の光

八月の光


表紙の「八月の光」というタイトルの脇には、小さく“Flash in Augst”と書かれています。
「光」は、温かなlightではなくて、閃光を表すflashです。
1945年8月の(広島、という地名は使われていないのに、誰もが絶対わかる)ヒロシマの。
『雛の顔』『石の記憶』『水の緘黙』の三篇が収録されています。
『鬼ヶ島通信』に載った『雛の顔』を初めて読んだのが、ちょうど昨年の今頃でした。(感想こちら


この世ならぬ地獄を体験し、一人では背負いきれない苦しみを一人で耐えて、それでもやっと何とか生き延びた人が、
生きのびてしまったことを苦しまずにいられないという理不尽さに、どんな言葉を添えたらいいんだろう。
だって、わたしだって、いや、今生きているだれもが、『生き延びた命』の一人であるはずなのに。
当たり前に、のうのうと今日まで生きてきた。それが申し訳ないのです。
この物語のなかの人びとの、言葉にならない思いも、思いにさえもならない感情も、真実です。
「二十万の死があれば、二十万の物語があり、残された人びとにはそれ以上の物語がある」
と、あとがきに書かれている。
ただ、この地獄で命を失った人たちに手を合わせ、
生き抜いてくれた人たちに、ただ、頭を下げたい。


辛い、悲惨な、という言葉では、とても言葉が足りない。
そういう凄まじい描写を描き出す文章は、透明なくらいに澄み切って静かです。
感傷的な言葉はありません。
原爆の凄まじさを記録した写真などで見たことのある光景の、
衝撃的な一瞬だけが切り取られていた写真の、
絶対あったはずの奥行き(でも、その場面が衝撃的すぎて、その奥行きを見るゆとりがなかった)を、わたしは今見ている。
この町に生きて死んでいった人たちひとりひとりに名まえがあり、
大切に思う人たちがあり、生活があり、
思い出があり、夢があったことに、今さらながらに、はっとしました。
壊れやすい、失いやすいものを、
物語は、言葉で、文章で、丁寧に掘り出していくようでした。


冷たいはずの石が、物言わぬ石が、少女の眠りを下から抱きあげているように、
作家の筆もまた、この少女と、ここに書かれない多くの人びとに静かに寄り添っている。
少女の束の間の憩いをそっと守っている。


『雛の顔』のタツは、娘を偲んで「気ままで愚かな、しかしとびきりの器量の娘を、自慢にも思い、甘やかしもしたのは・・・」と考える。
『石の記憶』の光子は、まだ戦争が始まる前、家族で過ごした海での父親のはじけるような笑顔を思い浮かべる。
決して特別ではない、だれもがきっと覚えがあるにちがいない日々の一こま。
でも、それは、ひとりひとりのかけがえのない思い出なのだ。
生きている一瞬一瞬の証なのだ。
『水の緘黙』の少年は「僕がだれであるか思いだすことにどんな意味があるというのだろう」と考える。
「あの日、見捨てて逃げてしまったので、この世に僕を知る人はだれひとりいなくなってしまったのだろう」と考える。
度忘れてしまったら、その記憶がどんなに大切なものか、ということさえもわからなくなってしまうのかもしれない。
忘れてしまうことは、亡くなった人も生きている人も、亡くなったまま・生きたまま、殺してしまうのかもしれない。
そして、きっと未来も、殺してしまうのかもしれない。


『雛の顔』『石の記憶』が、三作目『水の緘黙』に混ざり合っていく。
そして、「あの人たちのことを覚えていなければ」という言葉に向かって、ヒロシマの苦しみが、流れ込んでくる。


そうしてわたしは、物語を今のわたしたちに、重ねてしまう。
怖ろしくも本当に起こったことは、ずっと、見るな、忘れろ、と、強い呪文がかけられているようだった。
その呪文に従っていられたら、気持ちがよくて楽ちんだっただろう。
だけど、ふらふらと、流されて、何もかも忘れてしまったら、
そうだ、忘れたら、命だけではなくて、わたしは自分の名も忘れてしまうんだ。
この国も、名を失くす。
あとがきのなかに、「わたしたちにできることは、“記憶すること”――」と書かれている。
記憶する、ということが、全ての始まりなのだ。忘れていない、というところからしか何も始まらないんだ。
もちろん、わたしは、ヒロシマのあの日を知らない。
阪神淡路大震災も、昨年の春も、私は、直接の被害者ではない。
だから、こういう物語が必要なのだ、と思う。作りごとではなくて、芯に「真実」を持った物語。
こういう物語が、遠く離れた場所や、時代を越えて、記憶を運び、人びとに受けつがせる。
わたしは、この本をまた読む。何度も何度も読む。