エリア随筆抄

エリア随筆抄 (大人の本棚)

エリア随筆抄 (大人の本棚)


庄野潤三さんの『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』を読み、『シェイクスピア物語』ではないチャールズ・ラムに興味を持ちました。
難しいのではないか、ストイックな本なのかな、と心配しながら手に取った本。
思いがけず、温かくゆったりとしたユーモアに、ほっとしました。
エリアは、チャールズ・ラム自身のこと。作中、ときどき出てくる従兄姉たちは、ラムの兄ジョンと姉メアリーのこと。


『南海商会』
嘗ての華麗な同僚たちの思い出がにぎやかに綴られます。
すでに廃墟(だっただろうか?)である会社の思い出は、まるで幽霊たちの饗宴のように感じる。
怖ろしいというのじゃなくて、ばかばかしいくらいに明るく華やかなのです。
鮮やかな幕引きが見事で、夢からぱっと醒める感じが気持ちよい。そして、ますます思い出は色鮮やか。


『食前の祈り
「一日のうちには、食事以外に二十度も感謝の言葉を述べたいと思うことがある」
あるかも(笑)
並べられたひとつひとつの事柄にささやかな幸福を感じる。
ことに「ミルトンを読む前の感謝の祈り――シェイクスピアを読む前の感謝の祈り」が微笑ましい。
感謝の祈りをささげたくなるような、濃くて深い幸福をもたらす本との出会い。
シェイクスピアだものねえ、ミルトンだものねえ・・・


『幻の子供たち――夢物語』★
ただただ美しいです。これが一番好きです。
「子供というものは、目上の人たちの子供時分の物語を聞きたがるものである」
という一文から始まる。子どもばかりではない。わたしも、子どもの頃の話を聞くのは大好き。
曽祖母(が世話していた)お屋敷の、子ども目線の思い出は、L・M・ボストンの『グリーンノウ』物語を彷彿とさせる居心地の良さ。
歴史ある古風な庭を歩きまわるところなど。庭園や青草のの香り、表情のある木々の姿、温室の温気など伝わってきて、心地よい。
曽祖母が屋敷内で見たことのあるという二人の子どもの幽霊の話はことに印象に残る。
「あんな罪のない子供たちが、私をどうするものでしょう」という言葉に、この曽祖母がほんとに好きになってしまった。
(ほら、やっぱり重なるのですよ、グリーンノウ屋敷。)
そして、この随筆の最後には、エリアの話を聞いていたはずの子どもたちもだんだんと消えていく。
霧につつまれていくような余韻のある終わりかたまで、本当に美しい。何度も読みたい大切な一編になりました。


『書物と読書についての断想』
装丁の話がことに気にいっている。
結局、「良い書物であればある程、装丁はどうでもいいのである」となるのだけれど、
それを承知の上で、一冊一冊の本に相応しい装丁について考えるのは楽しい。
どんな本にも盛装をさせてやる気ににはならない、半装が似合うものもある、という話、
さらに、傷んだり擦り切れたりした表紙の美しさに心躍らせるところが好き。


『婚礼』
花嫁の父の気持ちがユーモラスに描かれている。気持ちはわかるけどね、くすっ。
付き添い娘も牧師さんも、みんなまじめなのに、なんだか、くすっ。
華やかな軽さのなかに描かれるのは花嫁を送り出す側の気持ち。
その寂しさをまぎらわせるかのようなユーモアに、笑いつつも、しみじみとした気持ちになる。


『古陶器』
本の終りを飾るにふさわしい美しい文章であった。
エリアとブリジット(ラムとエミリー)がお茶を飲みながら、昔を懐かしむゆったりとした文章。
ブリジットが、裕福でなかったころの暮らしを懐かしみ
「ほどほど」がよい、という。
多過ぎたり、少なすぎたり。その加減ってほんとに難しい。ほどほどはいつのまにかすぎてしまう。
それにしても、二人がお茶を飲む茶器の描写が好き。
茶器の模様が、ファンタジックに浮かび上がり、もう模様ではなくてそこにある風景になってしまうような錯覚が楽しい。
そんな背景のなかでの会話。