ラスト ラン


“「魔女の宅急便」の著者が贈る、書き下ろし自伝的小説”と、カバーの裏にあります。
えっ、どのあたりが? 主人公のイコさんは74歳ですよ?
小説の登場人物がいつまでも歳をとらないように、小説の作者も歳をとらないような気がしていたのだ、と今、気がつきました。


イコさん、74歳。
この先だんだん細くなっていく道を思って、やりたがり屋の血が騒ぎだしたという。
真っ赤なバイクにフルフェイスのヘルメット、イコさんのラスト ランが始まります。
行く先は、五歳のときに死に別れた(そしてまったくと言っていいほど記憶にない)おかあさんの故郷。
手許に残ったたった一枚のおかあさんの写真、古い家の窓にもたれた12歳の少女の姿を追いかけていきます。


74歳とはいえ、的確な技術と、バイク歴50年のベテランの勘。
読者はイコさんの背中にしがみついていればいい。
角野栄子さんの確かな筆力が、正面から吹きつける風を感じさせてくれる。
行く手を分けて左右に流れていく景色を、スピードを、感じさせてくれる。
わあああ・・・かっこいい、イコさん!


旅先でイコさんが出会うのは12歳の水玉模様ワンピースの女の子。この子、幽霊です。
イコさんのおかあさんが、12歳の姿でイコさんの前に現れたらしい。
やんちゃで前向きで、おもしろがりで、おせっかいな女の子ふーちゃんとして。


母親、しかも幼い日に死に別れた母、それなりに理想の姿で思い出したりもするだろう、と思う。
でも自分はいつのまにかその母の年齢を遠く越えてしまっている。
自分より若い母に出あって、「おかあさん・・・」なんて、やっぱりちょっと・・・やりたくないだろう。
でも、思い切って孫くらいの歳の女の子の姿になって目の前に現れたら、それはそれで、ひとつの絵として受け入れられるかも。
それも、湿っぽい思い出話の世界ではなく、そこに広がるのは新しい出会いの物語かもしれない。
だって、イコさんとふーちゃんは、このままバイクで旅に出る。


何かを思い残したまま死んだら、残された方だって辛いだろう。
思い残すことがあるとしたら、残されたものが辛がっていないかどうか、ということかもしれない。
元気でいることは、自分を一杯愛してあの世に旅立って行った人へのせいいっぱいの返礼かもしれない。


読み終えて感じる自由さ! すがすがしさ。
この設定なら、絶対終わり方はひとつだよね、とたかをくくっていました。
気持ちよく裏切ってくれました。
いいのか、そんなのありか。
ありだよ。
老人、幽霊、だれが、そう言ったのだろうか。
きっと、問題は、自分なんだね。自分がどう生きたいか、それだけなのかもしれない。
それが正解のこともある。型や決まりよりも大切なものは、幸せに生きることだろう。
自分の道を自分で切り開いていくことだろう。
先が細くなっていく? ほんとうかい?
細くなるなら細くなれ。その道のまんなかを力いっぱいすすんでいく。朗らかに。(私の進み方もみつけなくちゃ)