ねこに未来はない

ねこに未来はない (角川文庫 緑 409-2)

ねこに未来はない (角川文庫 緑 409-2)


最初は好きでもきらいでもなかったものなのに、いつのまにか深いつきあいになり、かけがえのないものになってしまう。
そういうものって、ある。
「ぼく」は、結婚した相手がたまたま、ねこ好きな人だったのだ。そうして、ねこといっしょの暮らしが始まるのです。


ことに印象に残るのは四匹目のねこジジとの別れ。
警告もされていた。防ぐ手立てはあった、いくらでも。それでも夫婦はしない。黙って行かせてしまう。
あっさりとねこを出してやる夫婦と、あっさりと出ていくねこの、なんとも清々しいまでの淡々とした文章には、やはり清々しい覚悟がある。
その結果(どういう別れになるか)を受け入れる覚悟もあった。


それであっても、やっぱり、後悔だってするのだ。別の道もあったのだったっけ、もし、別の道を選んでいたら、と思ったりもするのです。
でもね、もう一度時間をまきもどしても、同じだ、と思う。


なぜなら、夫婦は、ねこを「所有」していたのではない。ともに生きる、等しい命として、見ていたのだ。
彼の生き方をあっぱれとみとめていたのだ。


あっさりと書かれているけれど、だれか(自分とは別の命)と生きていくこと、暮らしていくことって、残酷だなあ、しんどいなあ、と思う。
せつないなあ、と思う。
だけど、それだからともに生きるだれかのことがいっそう愛おしい。それはただただ凄いことだと思う。


「ぼく」は言います。


>ねこをながく飼ってきたひとはこころのどこかでいつもねこがいなくなる日のことを覚悟しているのであり、そして、そうした覚悟をあらかじめじぶんで先どりして、いま・ここにいるねこをかわいがることのうちにいっそう混ぜあわせることに熱中するのだ、・・・
>飼っていたねこの死や失踪に耐えられないくらいなら、はじめからそのひとはねこを飼うことなんかできないんだ。
いなくなる日の覚悟を混ぜあわせた慈しみ・・・。
それは、ねこにかぎったことではないでしょう。
愛することのとっても深い覚悟を読んだ気がする。
たくさんの別れを超えてきた人の言葉は深くて大きいです。ささやかに書かれているけれど、圧倒されます。