生まれてバンザイ

生まれてバンザイ

生まれてバンザイ



バンザイの姿勢で
眠りいる吾子よ
そうだバンザイ
生まれてバンザイ

この歌集はこの歌から始まりました。
生まれたばかりの赤ちゃんの寝姿を思い出します。
それにしても、バンザイ。なんてダイナミックな喜びに満たされた歌だろう。
それもそのはずだよ。

熊のように
眠れそうだよ母さんは
お前に会える
次の春まで

秋はもういい匂いだよ
早く出ておいでよ
八つ手の花も
咲いたよ

と、そうやって待って待って待っていたんだものね。


三、四行の分かち書きで、1ページに一首だけ。
大きな余白が、歌のうしろにある光景(見える光景と心の光景)を映し出しているような気がします。
一ページに一場面のアルバム?
いいえ、動かない写真ではなくて、
その歌のなかから、子どもは動き出し、声をたてる。
体温と、やわらかくずっしりとした重さがこの手にまで伝わってくる。
上の方にほんのりと縁取られた柔らかな朱が、リズミカルに踊る血潮のようでもあります。

それは、俵万智さんと愛息タクミンくんの、かけがえのない日々。俵万智さんの子への思いがあふれています。
だけど、俵さんが歌にすると、その歌の向こうに、わたしの風景が見えてきます。

竹馬のように
一歩を踏み出せり
芝生を進む
初めての靴

この歌から見えてくるわたしの風景は、たとえば、淡いピンク色の小さな柔らかいフェルトの靴です。
この靴を履いた足が、そっと踏み出すのは、我が家の近所の公園の砂利の上です。

「かーかん」と
呼んだ気がする昼下がり
コスモスだけが
頷いている

何度でも呼ばれておりぬ
雨の午後
「かーかん」
「はあい」
「かーかん」
「はあい」

この子の小さな口からどんなふうに私の名まえが呼ばれるだろうか。
いつか「おかあさん」と呼ばれる日をどんなに楽しみに待っていただろうか。
わたしも俵さんの歌から思いだしています。
はじめて「かっか」と呼ばれた日、「ね、もう一度『お母さん』って呼んでよ」と頼んだ。何度も何度も。
そのたびに「かっか」「かっか」と得意そうに何度も呼んでくれたんだったね。
思いだす思いだす。


母と子がジグソーパズルのピースのように寄り添い、木馬のように揺れていた、あの日々は遠くなりました。
子どもは大きくなりました。


あんたたちに会えてよかったよ・・・
わたしの子になってくれてありがとう。


この本を閉じたとき、そんなふうに素直に言いたくなりました。


この歌集のおしまいのほうは、恋の歌。
若かった遠い日の、瑞々しい恋心から、やがて、この子は生まれてきました。
そして、いつかこの子も、こんな気持ちを味わうことになるのだろう。
いつか、慈しんで子を抱く日も来るのだろうか。
それはすぐ目の前かもしれません。