合言葉は手ぶくろの片っぽ

合言葉は手ぶくろの片っぽ (岩波少年文庫 (2137))

合言葉は手ぶくろの片っぽ (岩波少年文庫 (2137))


日本からカナダへ向かう貨物船「ペガサス丸」の船員たちが活躍する物語です。
といっても、この本のなかの主役級の彼らは中学を卒業してすぐか、せいぜい一年か二年くらい・・・高校生くらいの年齢かと思うのですが、社会人であることにはまちがいないです。
巻末に「本書は1978年4月、岩波少年少女の本『合言葉は手ぶくろの片っぽ』として刊行されました」と書かれているので、1978年が初版、ということでしょうか。
わずか30年くらい前? そんなものだろうか?
ほんのちょっとだけ触れられた彼らの家庭は裕福とは言えないし、こんなに若いのに、ずいぶん苦労してきたのだ、ということがうかがい知れるのです。
高校生だったら、まだまだモラトリアムの年代を悠々と過ごしていただろう年齢の彼ら、
先輩に張り飛ばされながら必死に仕事を覚え、自分たちの未来図をそれぞれに描こうとしていました。
まだまだ子どもらしい純粋さを持ちつつ、しっかりとした自立心もちゃんと育てている、まぶしい若者たちです。


合言葉は「手袋の片っぽ」。
船のセーラー五人が密航者をみつけます。そのうち四人が協力し合って密航者をかくまいます。
カナダに無事おくりとどけるため。「手ぶくろの片っぽ」はその際の合言葉でした。
残る一人は密航者をかくまうことを拒否して、口をつぐみます。


船は台風に翻弄され、エンジンの故障が起こり、遭難船を救助し・・・
乗組員たちもいろいろな性格の人たちがいるわけで・・・
また、移り変わる海の色は決して単調ではなく、
イルカの群れと並走したり、その話し声を聞いたり、船と戯れるように現れるくじらの雄姿に驚かされ・・・
船での日々は活気と驚きに満ちています。
それだけでドラマですが、そのうえに、密航者を匿う、緊張感をはらんだ冒険物語です。
ストレスと戦いながら、密航者を無事にカナダへ送り届けることは、途中で決して放り出すことのできない神経戦でもありました。


四人のチームワーク、成長などが描かれますが、でも、ほんとうは、これは犯罪に手を貸すことでもあるのです。
失敗すれば、密航者はブタ箱行きだし、匿った者たちもクビになるのが目に見えている。
敵役になってしまった(仲間になることを拒否した)少年のほうが、法を守るという点において、本当は正しいのです。
四人が、密航者をかくまうことにした理由は、情緒的に納得できるのですが、
その一方で、四人ひとまとめとなると、なんとなく付和雷同してしまっていないか?と感じる部分もあるわけで・・・危なっかしいったらない。
彼らの冒険やチームワーク、成長など、決して生半可ではないし、清々しいと思いますが、
一方で、やっぱり、「みんな一緒に」の冒険を拒否して、自分の考えに従ってあえて孤立を選んだ少年のことが気になります。
同室で、非番の時間を今までともに楽しく語らったり笑ったりして過ごしていたのに、今ではみんなこっそりと部屋を抜けていく。
だけど、間違っていることに加担する気は毛頭ない。(たったひとりで、雷同することを拒否するって勇気あるではないか)
その一方で、もし密航者がみつかったら・・・
自分だって、この船に密航者がいることを知っていて黙っていたわけだから、無事で済むはずがない。
どんなに多くの葛藤があったことだろう。
だれにも相談できず、ひとり悶々と悩んでいたに違いないのです。
仲間にならなかった少年は、自分の孤立や立場を、理不尽だと思うのがあたりまえ。
彼を責めることなんてできない。


彼は、間違っていないのです。情に流されるよりも理に従ったことは、間違っていない。
なのに、裏切り者のように感じさせられてしまうことの理不尽さ。
こういうことって、あるじゃないですか。正しいことをしたはずなのに、なぜか悪者みたいになってしまう、そういうこと。
自分の意志と正義を貫くために、彼はあまりに多くを失ってしまったのではないか。
ではどうすればよかったのか。
彼のことを思うと複雑です。そして、四人のチームワークや成長が時に疎ましいような気がしてしまうのです。


四人は冒険をやり遂げることができるのか。
やりとげることができたとしても、密航者のその後は、前途多難・・・彼が思い描いたような未来は待っていないかもしれない。
そして、四人プラス一人の関係はこれからどうなるのか。
どんな結末になったとしても、何もかもが大団円、というふうに終わるはずはないのです。