東方綺譚

東方綺譚 (白水Uブックス (69))東方綺譚 (白水Uブックス (69))
マルグリット・ユルスナール
多田智満子 訳
白水Uブックス


東洋の物語。
西洋から見た東洋は、風景も風習も、宗教も価値観も、何もかもが違う、不思議の国なのだろう。
きっと少し恐れとたくさんの憧れを持って眺めたのだろう。
東洋人のわたしですが、ユルスナールの描くままに、東洋を遠い国として読みます。
中国、インド、バルカン諸国・・・それから日本。ユルスナールの描く日本もまた、わたしには異国の趣き・・・
少し残酷で、官能的で、幻想的で、限りなく美しい短編が9つ収録されています。
ただもう・・・ため息。美しい。

――神は偉大な画家ですな。

――神は森羅万象を描かれる。

――何たる不幸でしょう、シンディックさん、神が風景画だけにとどめておかれなかったのは。
神ならぬ人は、神の作りたもうた風景の中で限られた命を生きて、その眼はその耳は何を見て、何を聞くのか・・・
わたしたちは、風景の中から、必要とするものだけを取り出して構成しなおすこともできるし、
目の前の風景の彼方に、見えないものを感じることもできるのでした。
ふだん忘れているけど。
『燕の聖母』の中に、
「神の平和は、牝鹿や牝山羊の群に及びますものを、ニンフたちには及ばぬと誰が申しました?」という言葉が出てきます。
そこに芸術の心があるような気がします。
ああ、現実よりも美しい現実がある。
それを本当に知っている幸福な人は、ごくごく限られた人々なのかもしれません。
そこに芸術が生まれる。
その幸福を、この九つの短編は、さまざまな方法で、わたしたちに分け与えてくれます。
美しい詩の言葉で。
東洋の御伽噺のような世界の中で。ああ、大人の御伽噺、といえるかもしれません。


九つの短編の一番最初の物語が『老絵師の行方』で、これが一番好きです。
文章が詩のようで、それだけで美しいのですが、その文章が表す情景がまた。
特に一番最後の一文にはひたすら、ため息、ため息、ため息・・・なのです。美しすぎる。
そして、たぶん、わたしもまた老絵師らとともに、小舟に導かれたような気がします。
そして、小舟に揺られて、現実を少し離れたオリエントのふしぎな旅に誘われるのです。


『ネーレイデスに恋した男』では、かの青年に見えるものが羨ましくてたまらなくなります。
これを「失った」と取るか、「得た」と取るか・・・難しいけど・・・幻惑されてしまいます。
『燕の聖母』のマントの内側の美しさったら・・・なんと素晴らしいイメージなんだろう。
コルネリウス・ベルクの悲しみ』のチューリップは、昨年読んだ『琥珀捕り』のチューリップ狂の物語を思い出しました。
『源氏の君の最後の恋』・・・
西洋の人が『源氏物語』を読みこなし、
しかも原作の雰囲気を大切にしながら独自の新しい世界を築き上げてしまうというだけで凄いような気がします。
ここまでいったら、最期はやっぱり和歌を詠んでほしかったな、という無理難題を言ってみる。


『老絵師の行方』という画家の物語で始まったこの短編集、最後の物語『コルネリウス・ベルクの悲しみ』は、また画家の物語です。
最初の画家は現実を超えた画家、最後の画家は現実に届かなかった画家でした。
そして、この本を一冊読み終えて感じるのは、いくつもの絵をみてきたなあ、ということ。
眼に焼きつくような印象的で美しい場面が残ります。
物語はあらすじというよりも、ただその一枚一枚の絵を語った文章のような気さえします。
そして、画家で始まり、画家で終わることにより、
絵の中を通って乗ってきた小舟から、違う風景の、この岸に下ろされたような気持ちになります。
舟に乗っている間は、たぶん『ネーレイデスに恋した男』に少しだけ似ていたかもしれません。

>彼は幻想の世界に入るために事実の世界をぬけ出したのです。