夜想曲集

夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語
カズオ・イシグロ
土屋政雄 訳
早川書房


カズオ・イシグロの初の短編集、5つの短編が収められています。
この短編5つとも、別々に発表されたものではなくて、一つのテーマに沿った短編集をつくるために、すべて書き下ろしだそうです。
しかも、もともと6つあったものの、一作だけ時代背景が違う、
ということで抜いて、5つにしたという徹底ぶり。(もったいない〜。読みたい、その最後のひとつ)
そのため、どの物語も、独立しながらも、繋がっているような、短編の醍醐味と長編の満足感(?)を同時に味わっているような気がしました。


テーマは、サブタイトルにもなっているとおり「音楽と夕暮れをめぐる」で、どの作品も音楽に関係のある物語なのです。
そして、「夕暮れ」は、時間的な日没もあるのだろうけど、むしろ、男女(または夫婦)の終わりかけた関係を表しています。
老いでもあります。
それなら「音楽」は?
音楽に篭められたものは、甘美な憧れであり、希望であり、若さの象徴でもあるかと思います。
音楽と夕暮れは対比になっているように感じました。
そして、人間の感情も、男と女の間がらも、不思議なものですね。この全く相反するものを同時に持つことができるのだから。
悲劇は見方を変えれば喜劇だし、あきらめから希望が生まれることもあるし、老いのなかに若さが浮かび上がることもあるのです。
男女の物語なのに、全く艶かしい場面が出てこないってのも珍しいです。
さまざま理由、さまざまな状況のもと、後ろ髪引かれながら、明日は別れていく二人を、当事者から、あるいは傍らから見つめる物語。
そして音楽・・・となると抒情的な余韻のある物語か、と思えば、そうとばかりもいえず。
一緒にやってきたものが別れていくには、それなりのすったもんだもあっただろうし、苦々しい思いもあっただろう。
そして、もちろん、一言では言い切れない切ない思いもあったわけだし。
それらすべてを整理して(しきれずに)明日を迎える夕べって、
たぶん、まったくの他人から見たらもしかしたら、くすりと喜劇かもしれないのです。


たとえば、「降っても晴れても」の主人公の心の軌跡の可笑しさ(しらないよ、このあと)や、
夜想曲」の夜中のどたばた冒険(頭はミイラだし)など、大好きだな。
「老歌手」のゴンドラの歌も、悲しいようで、やっぱり可笑しいのは否めないし、
チェリスト」は、笑う場面はひとつもないのに、まるごとあほらしい喜劇じゃないか。


それから「モーバンヒルズ」が好きなのは半分以上は、あの舞台のせいかもしれません。
夫婦の違いがあまりに極端で、それだけでほんとは笑えるはずなのですが、あの風景の中では、二人の関係を素直に受け止めてしまう。
そして、「やがて小さな姿はまた前進を始めた」で、ちょっと清清しい。
もしかしたら、超楽天的な夫(謹んでパレアナ君と呼びたい)より女房のほうがずっと楽天的かも。だからこれまで続いてきたんでしょう。


音楽と夕暮れ。少しずつ(または大きく)曲調を変えながら、繰り返されるテーマ。そして、一つの大きな曲になる。
そんな音楽を聴いたような短編集。
素敵なコンサートへのご招待、ありがとう、と言いたい気持ちです。