雪は天からの手紙

雪は天からの手紙―中谷宇吉郎エッセイ集 (岩波少年文庫)雪は天からの手紙―中谷宇吉郎エッセイ集
池内了 編
岩波少年文庫


雪の結晶の研究で名高い中谷宇吉郎のエッセイ集です。
真冬の十勝岳の山小屋で、雪の観測をし、雪の結晶の純粋さ(?)を語る言葉、実験室で雪を作ることに成功するまでのご苦労などなど、
科学者の情熱と喜びにあふれた言葉に、打ち込むものを持った人は素敵だな、と思いました。


興味深かったのは、第四部の「科学のこころ」について語った三つのエッセイ。
その中でも、千里眼や、「立春にだけ卵は立つ」という風評(?)の真偽について糺す文章です。


千里眼の風評が風のように日本全土を吹き渡ったこと、それはすでに80年も昔の話なのに、笑えません。
だって、今だに変わらないじゃないの。わたしという人間の信じやすさも。
著名なあの人が言ったから、とか世間一般にみんなが信じていることだから、という理由で信じることの怖さ。
さらに、政治などが介入して、それを鵜呑みにして利用し、ある一定の方向に集団を向かせようとすることの怖さです。
不思議なこと、常識からはずれること、あるはずのないもの・・・
だけどあったらいいな、あってほしいな、という気持ちが、「真実」に対して目隠ししてしまう。
そして、大衆が揃って一方を向いて歩いているときにひとりで逆向きに歩くことができなくなってしまうのだ、
ということを忘れてはいけないと思います。
ある種の集団催眠のようですらあります。


立春の卵の話だって、「たまごは立たない」という常識があればこそ出てきた風評で、
実験してみれば、立春に限らずいつでも卵は立つのだ、という「なぁんだ」の結果。
でも、その「なぁんだ」がわからなくなってしまうんですよね。
実際試してみれば立つのに、やりもしないで「みんながそういうからには立たないのがあたりまえ」と簡単に信じてしまう心って・・・。
第一「コロンブスの卵」って何?
そして、「なぁんだ」に至るために、どういう状況なら卵が立つのかという実験、卵の表面のざらざらの観察、など、
科学的な証明までしてみせてくれた中谷先生、ありがとう。
「実験をしないでもっともらしいことを言う学者の説明は、たいていは間違っているものと思っていいようである」という言葉を忘れたくないです。


エッセイから、まっすぐで穏やかな中谷先生の人柄が偲ばれるような文章でしたが、この文章のあちらこちらから、恩師寺田虎彦先生への崇敬の気持ちが伝わってきました。こんなにも尊敬できる師を持てたことをうらやましく思うくらいに。
中谷先生が落第したことがある、と寺田先生に話したとき、
寺田先生は「そうか、それはよい経験をしたものだ。落第をしたことのない人間には、落第の価値はわからない」と褒められたといいます。
そして、中谷先生は、後になって「途中の道草がどれも、後になってみると、それぞれ役に立っている」と書きます。
第五部「若い君たちに」の「私の履歴書」というエッセイです。
道草を大いにしたいものです。若い人も、年取った人も、わたしも。
だけど、今の時代にそれがほんとうに許されるのでしょうか。
道草が許されない社会はあまりにぎすぎすしているし、良い発想も仕事も生まれては来ないでしょう。

雪の結晶ノート雪の結晶ノート
マーク カッシーノ ジョン ネルソン
千葉 茂樹 訳
あすなろ書房

この本を手に取ったきっかけは、↑この科学絵本。
科学って美しいものなのじゃ、と素直に思える美しい科学絵本でした。
最近は雪と聞くと憂鬱でしたが、久々に「雪、降らないかな」と楽しみな気持ちになりました。
この絵本の最後に、中谷宇吉郎さんの言葉が引いてあったです。「雪は天からの手紙」と。
科学者って詩人のようだと思いました。
真実に対する驚きを大切にする詩人です。