ナバホへの旅 たましいの風景

ナバホへの旅 たましいの風景ナバホへの旅 たましいの風景
河合隼雄
朝日文庫
★★★★


論座」2001年2月より12月号まで連載されたナバホ・ネイション紀行文をまとめたものです。
アメリカにナバホ・ネイションと呼ばれるナバホの国があることを初めて知りました。
ロングウォークという残忍な措置で故郷を失った多くのアメリカ先住民たち。
ナバホもそうだったのですが、後に自分たちの故郷に帰ってくることになります。
それは、ほかの種族に比べたら幸福なことだったかもしれませんが、
その間・その後の犠牲の大きさは筆舌に尽くしがたいものがありました。

>「白人は法律によって罰せられない限り、自分を正しいと思っている」。つまり、法律の網の目をうまく逃げ抜けることのできた人間は、「正しい」人間として力をもつものだ。その正しさによって、アメリカ先住民は実に多くのものを奪われてしまった。
との言葉は、印象に残りました。


著者はおもにナバホのメデイスンマン(シャーマン)に会い、独自の宗教と霊的・臨床心理学的な癒しについて触れ、
わたしたち日本人が太古持っていた精神性(?)に近いものを感じています。
インディアンは野蛮人、という認識の高かった時代に、
ユングが言った言葉「みながアメリカ・インディアンと呼んで馬鹿にしている人たちの方がはるかに気高い顔をしている」を引き、
今やインディアンの知恵に学ぼうという風潮に変わりつつあるアメリカの社会の中に潜む皮肉的な現象をあげます。
それを当のナバホの人たちはどう思っているのか。
白人は先住民の知恵を自分に都合の良いように捻じ曲げて利用するだけ。
またナバホの文化そのものが脅かされている。
子どもたちは英語をしゃべり、ナバホの言葉を知ろうとはしない。などなどが印象に残ります。
ブームのようにインディアンの知恵を神秘的に扱うあまり偽インディアンや、偽インディアンの知恵が横行することに対する静かな怒り。
またそれを見破ることのできない人間の一人である私自身が恥ずかしくもあります。
また、ナバホ・ネイションの土地は貧しい。電話さえない家がほとんど。
女たちはナバホ伝統の織物を織るが、男たちにはほとんど仕事がない。そのためアルコール依存症が増えている。
・・・良く知らないで語るのはよくない、と思うのですが、アーミッシュの人たちのことを重ねてしまいました。


アメリカ合衆国は広く、こんなに多様な文化があるのだ、と思う一方で、
自分たちの文化を守るために「かたくな」になっているように見受けられる一群の人々がいるような気がします。
それは、「白人は法律によって罰せられない限り、自分を正しいと思っている」からかもしれない、と思いました。
この傲慢さの中では自分たちの一番大切なものを守るためにはやむを得ず「かたくな」になるしかないのかもしれません。
何が正しく、何が間違っている、と誰が判断するのでしょう。
たとえば宗教もまた、一神教アミニズムより進化した形である、という考え方そのものもおかしいのです。
進化ではなく、まったく別ものと考えたほうがいいはず。


ナバホの人たちが白人の文化を取り入れ、白人の文化に入っていこうとすれば、たぶんその下層に入ることになるだろう、
という著者の言葉が心に残ります。
アメリカ合衆国内にナバホの国がある以上、どうしても白人文化の中に飲み込まれざるを得ないだろう、と思うだけに。
日本人もまたグローバル化の中で大きな意味で将来同じ危険に瀕しているのだ、
との警鐘もまた心して聞かなければいけないと思いました。


なお、これは、余談になりますが、
ナバホのメディスンマンについてよりよく知りたければ「ゲド戦記」を読むのが一番いい、という言葉が心に残っています。
アーシュラ・K・ル=グウィンの両親は文化人類学者で、ヤナ族の最後の生き残りイシを引き取り、深い親交を結んだ人であったそうです。
そのため、ル=グウィンは、「アメリカ・インディアン」の深い知恵を尊敬の念を持って吸収できる立場にあったこと。
ゲド戦記」はファンタジーでありながら、その世界観はアメリカ・インディアンの知恵によるものが大きいそうです。
毎年今年こそ完読!の目標をたてながら果たせずにいた「ゲド戦記」、やっぱり全部読みたい、との思いを強くしました。
ル=グウィンの母シオドーラ・クローバーの著書「イシ」も是非読んでみたいと思いました。


おしまいに、この本の中でもその著書「ナバホの大地へ」からの引用が多くされていた
ぬくみちほさん(ナバホネイションでナバホの方たちと生活をともにされた人類学者)との対談もよかったです。
ことに印象にのこるぬくみさんと河合さんの言葉を引用します。

>ぬくみ : (ナバホの小学校で)先生が小学四、五年生を遠足に連れていったときに、大きな枯れ木の下に子どもたちを集めて、「お前たちはアメリカ人か、インディアンか、それともナバホか」と聞きました。子どもたちはナバホ、と答えます。すると今度は、「ナバホとはどういうことか」と尋ねたんですが、子どもたちはわからない。すると先生が「この谷でとれたものを食べることだ」と教えました。この谷にどういう植物が生きているのか、どれが何に効く薬草なのかということをきちんと知っていることがナバホなんだと。そして先生は子どもたちに、「君たちはインディアンにも、ネイティブ・アメリカンにも、アメリカ人にもなるな」といいました。素晴らしい授業でした。私もそれを聞きながら、「日本人であるってどういうことなんだろう」と考えさせられました。

河合 : 風とか土とか星とかと、皆がつながっている。いいですね。なのに、そういう繋がりは忘れて、今われわれはEメールや携帯で「世界とつながっている」などと勘違いしている。これは大錯覚を起こしているだけです。たとえば天気予報で、ニューヨークが晴れとわかったって、自分の奥さんが大あらしを起こしかけているのは全然わかっていない(笑)。これでは、本当の意味のつながりとは言えないんですね。