運命の騎士

運命の騎士 (岩波少年文庫)運命の騎士
ローズマリ・サトクリフ
猪熊葉子 訳
岩波少年文庫
★★★★★


読み始めから大きな鋭い爪でがしっと掴まえられ、強い力で一気に最後まで引きずられます。
このゆるぎない力強さ、厳しさに圧倒されます。


孤児ランダルは領主の犬飼となり、周りの大人たちから、気分しだいで蹴飛ばされ鞭打たれ、隠れ、逃げ、盗み、ただ、生きていた。
運命のいたずらで、彼のことを気に掛けてくれる人によって、手から手に渡され、ランダルの人生は始まる。


一つの人生の物語である。
望んでも夢みても決して手に入らないものがあるなら、自分に相応しいもので満足すべきだろう。
そこで、精一杯生きることが自分の人生である、喜びである、と思うまでに成長するには、なんとたくさんの紆余屈折、苦しみ手放しあきらめたものがあったことだろう。
そして、その代わりに得た喜び、芽生えた愛情・・・
少年が、環境のなかで、変わっていく喜びと痛み、そして、痛みを重ねるたびに厚く積もっていく心の豊かさ。
ディーンという豊穣の土地の平和で牧歌的な世界の美しい描写。


けれども、思わぬことから、夢見ることさえもあきらめたその夢がかなうことになる。
これは人生の成功の物語のはず。
だけど、そこに伴うもの。
この深み。
大きな夢を掴むことは大きな犠牲とそれに伴う痛み、重い責任を同時に抱え込むことでもありました。
それを承知して、その重みに耐える力を得てこそ初めて押し頂く夢。
それを知っている人だけが、得ることのできるもの。
得がたいを承知で引き受けるものだったのです。


ランダルの人生の始まりで彼の運命を決定付けた人が、物語の終わりにもう一度現れます。
そして、彼の決定はよかったのかどうか、とたずねます。
ランダルは「わからない」といいます。
もし、ほんの少し前だったら、夢がかなうかもしれないなどと思いもしなかった頃だったら、
自信を持って「はい」と答えられた問いかけでした。
しかし、今。ああ今。
・・・それでも彼は運命として受け入れたのです。
もはやこれは「夢がかなう」という類の話ではなかったのです。
よかった、わるかった、と言い切れるものでもありませんでした。
けれども、やがて、ランダルは言います。
「よかったのです・・・何年もまえにあなたがしてくださったことはよかったのですよ」
簡単に言える言葉ではありませんでした。
この「よかった」の中に、過去の重さも未来の責任もすべてすべて引き受ける覚悟の言葉だったのです。
過去の重さ。一言で言ってしまえば、簡単です。でもそれはあまりにあまりに大きすぎる犠牲だった。
それでも、それを引き受けることは人生を雄雄しく生き抜く勇気以外の何者でもないでしょう。
また、だれにでもできることでもないでしょう。
簡単に「夢をかなえる」というけれど、
「夢の途中」にいるものは、その「夢」の大きさに押しつぶされない強靭で豊かな心、そして深い愛情をやしなっていかなけらばいけないのかもしれません。
夢が大きく、遠ければ遠いほど、それに手をのばすことは厳粛なものである、と感じさせられた作品でした。