店じまい

店じまい店じまい
石田千
白水社
★★★★


短いセンテンスの文が続く独特の文章は、読んでいて気持ちがいい。エッセイというより散文詩という感じです。
タイトルは「店じまい」

昔なつかしい小売屋さんの風景に、ああ、覚えがあるある、あの店、この店。わたしもそういうお店と縁続きで育ったんだってなつかしかった。
一枚二枚単位で画用紙を買いに行く文房具屋さんは、「画用紙下さい」って言うと、「幾枚?」ってそうだ、そういうふうに聞いてきたよね。
売ってもらうこちらの方が恐縮してしまうくらい仏頂面の揚げ物屋さんのおばさんも、自分の知っているあのオバサンの顔で思い出す。でもコロッケ、あのおばさんのお店のが一番おいしかったんだ。
石田さんの描き出すなつかしい風景の向こうに、私の子ども時代の思い出のあの店この店が蘇ってくる。
硬貨をにぎりしめて駆けていったパン屋さん。おいしそうな調理パンがほしいのに、いつも食パンばかりのおつかい。
おなべを持って買いに行ったお豆腐屋さん。フロ桶のような水槽の中に手をつっこんでお豆腐をすっと切ってくれるその手がおもしろかった。

こういうお店にはいつも決まった人がいた。お店と人は一体になって思い浮かびます。
いつのまにか、消えていったあの店この店。かわりに現れた全国規模のチェーン店。
便利になった。一軒のお店で全部揃う。安く買える。
だけど、もうお店と人は一体ではない。親切なおばさんも仏頂面のおじさんもいない。毎日レジの人はくるくる変るし、買い手も売り手も忙しく買い物ついでに世間話など、もってのほか。
ちょっと寂しい。便利さと引き換えに自分が忘れ去ろうとしているものを思い出しました。

駄菓子屋、銭湯、焼き鳥屋、ふとん屋、佃煮屋、本屋・・・この本の中から、なつかしいさまざまな店がぼんやりとした薄明かりの中からたち現れてきます。
少し温かくて、ぼんやりとほの明るい光の中で、作者とそのお店との(店主との)あれこれの印象的な小さな物語が語られます。
そして、最後にはそのお店は戸締りされて、「店じまい」のご挨拶の張り紙が貼られます。

私のなつかしいあれこれの店。忘れたまま、思い出すこともなかったあれこれの店。ふるさとに帰っても、その店があったはずの通りさえもなくなってしまった今になって、ああ、いつどうやってあの店は店じまいしたのかな、やはり、あんな張り紙が貼られたのかな、あのおじさんやおばさんはその後どうしているのかな、と振り返っています。勝手に忘れ、勝手になつかしがる、何とまあ、身勝手な客だろう、わたしは。

あとがきの、

>共通していたのは、みなさんが、はればれとした笑顔を見せてくださった。視線の先はもう閉店翌日をむいていた。後日、思いもよらぬ転身をうかがい、拍手喝采すること、たびたびだった。
との言葉に、感傷的になることの恥ずかしさを思います。
「しめたから、はじめられる」・・・なるほど。では身勝手なこの客も、新しい人脈を求めて、新しい何が始まるか、と、わくわくしながらこの先を歩いていけばいいのだ。