ムーンレディの記憶

ムーンレディの記憶ムーンレディの記憶
E.L.カニグズバーグ
金原瑞人 訳
岩波書店
★★★★★


「スカイラー通り・・・」以来の新作?しばらくぶりのカニグズバーグですが、これは、とびきりすばらしい本でした。
子ども(YA)の本、優しい言葉で、このボリュームで、これだけのことを語ってくれるのですから。

裏表紙(カバー)に載っている引用文

>やっと出てきた額絵は、この家のあちこちにある派手な額入りの絵とはちがっていた。この絵は――正確には線画――ていねいに作られた素朴な木の額に入っている。すすけたガラスの丸窓から見えるのはヌード画だった。
この文章が、物語の中に登場するのは本の半分くらいのところです。
ここまでの物語前半に、状況があらゆる角度から描かれ、さまざまな伏線が張られてくるのですが、これらの物語の欠片がいったいどういうふうに結びついていくのかわからないながらに、とてもおもしろいのです。
転校生アメディオとウィリアムの魅力的で特異な才能や夢に惹きつけられますし、その若々しい感受性にハッとさせられました。二人が親友となっていく過程や、二人のあいたに交わされる目に見えないサイン(互いに対する信頼の厚さや自己分析の細やかさったら)が微笑ましいだけでなく、彼ら、何かやるな、と思わせてくれます。
そして、アメディオの隣人、老婦人ゼンダーさん(王女のようなゼンダーさん)のおうちの魅力的なこと。ゼンダーさんその人がとっても印象的で、なにやら秘密のにおいも。
中心人物と彼らに関わる人々、意味深長な言葉の数々も、気になります。
そして、ゼンダーさんの引越し(?)のための家財道具の処分を少年たちが手伝い始め、やがて、上の引用文にいきあたる、というわけです。

さあ、物語が一気に加速します。
こちらの読む速度もぐんとスピードアップです。
きわめて印象的なこの絵はいったいどんなものなのでしょうか。
なぜゼンダーさんがこれをもっているのでしょうか。
そして、前半で、きれぎれの情報のように小出しにされた小さなことがらや、まるで背景に溶け込むようにひっそりとしていた人たちが急に生気を帯びて浮かび上がってきます。
わくわくします、どきどきします。ああ、ミステリアス。そしてそして・・・

遠い彼方から、ナチスドイツが浮かび上がってくる。ヒトラーの演説が聞こえる。
ああ、たくさんの傷跡。
悲しい犠牲。苦々しい歴史の爪あと。
ナチスが、その後の欧米のさまざまな人々の人生に落とした影響に、あらためてめまいがしてきます。
たった一枚の、「レポート用紙より少し大きいくらいの」線画と、その絵に関わった人々の運命、その命の重さ、なんと表現したらいいのかわかりません。ただただ重たく心に響きます。
アメディオの夢と、少年の若い純粋さが、一枚の絵から埃じみた過去を洗い出していくようです。
そして、あらわれてくる1人の女性の人生。

>でも、わたしがいいたかったのは、人の九十パーセントは目に見えないということなの。(中略)人間というものはもっと見えているつもりなのかもしれないけれど、十パーセントしか見えていないの。
繰り返し出てくるこの「10パーセント」・・・ゼンダーさんはこの言葉をどんな気持ちで口にしていたのでしょうか。
甘やかでゴージャスな夢のなかで周りの意思に流され続けることと、隣あわせの苦い真実(目を伏せてもなお見えるはずのものをどうすることもできず、ただ抱え込み重く黙り込むしかなかったことの罪と罰とプライドと)。
この広い屋敷の中で、彼女は、ひとり何を持ち続け、何をかんがえてきたのでしょうか。
語られない部分に、彼女の真実が眠っているようで・・・

少年の豊かな感受性とまっすぐさがかなえた大きな夢(それもまた壮大な歴史の中では彼のなしとげたことは90パーセントの中のほんの何パーセントかにすぎないことを実感したことにもなる)にさわやかに感動し興奮すると同時に、なんともいえないやるせなさが同時にあり、その気持ちが不思議に両立してしまうラストシーンに言葉がありません。
ゼンダーさんは、やっぱりわたしにはいつまでも魅力的な女性であり、今後の人生が気になりますし、今度のことで大きく成長したであろうアメディオとウィリアムについても今後のことが知りたくなってきます。

>兄さんにレッテルを貼ったのはナチスだ。ナチスはだれにでもレッテルを貼った。(中略)だが、レッテルは何も語っていない。ナチスは、親切な人、寛大な人、勇気がある人、優しい息子、この上なくやさしい兄に対して貼るレッテルは持っていなかった。
読み終わって、物語中のこの言葉がくっきりと浮かび上がってきました。
カニグズバーグは、この言葉を強い思いを持って送ってくれたのではないか、と思っています。
物事の一面だけを強調して見ようとすれば、他の面が見えなくなるのではないか。特に目に見えない部分が。そこから始まる過ちがあるのではないか、私たちの心の中にも・・・そんな気がしてきます。