夢の終わりに…

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夢の終わりに…
ジェフ・ライマン
古沢嘉通 訳
早川書房
★★★★


オズの魔法使い」のドロシーにはモデルとなる人物が実在していた?・・・という設定のもとに紡がれた物語でしたが、いやはや、なんとも救いのない話で・・・
オズの魔法使い」は明るいファンタジー。「オズ・・・」を朝としたら、この物語は月のない夜のようです。
作者はどんな意図を持ってこの作品を書いたの?としばし呆然としてしまいました。

>「わたし、いつもは妖精を描いているんです」とムーンフラワーはいった。「それにカモメと星。そういうものを」
「なるほど。それで、そのどこにこうした死体が入ってくるんです?」
「あなたがそんなことを訊くの?」ムーンフラワーは驚いたようだった。「妖精とはこういうもの。両者はおなじものの裏表なんですよ」
オズの魔法使い」を表としたらこの物語は裏ということでしょうか。

この物語はドロシーの生涯の物語であり、
幼い日に「オズの魔法使い」(ジュディ・ガーランド主演の映画)に魅せられ、生涯かけてその物語のモデルとなった実在のドロシーをさがす旅を続けたジョナサンの物語でもあります。
不幸な子ども時代を過ごした二人。
ドロシーのあまりに悲惨な救いようのない生涯、だけど、ドロシーの心はそこにはなかった。彼女の身体はうつろ。彼女の心は幸福だった5歳のころの夢をずっと見続けていた。(でもその幸福も実際は幸福ごっこのまぼろしだったけど。・・・ジュディ・ガーランドの子ども時代に酷似している。)
ジョナサンも悲惨で不幸な晩年をすごすが、その心は幼い日に出会った「オズの魔法使い」の幻影の中に住んでいた。

あまりに暗い物語、二度とページを開くことはないだろうと思う本。だけど、★4つの評価をつけたのは・・・この本を読み終えてからずっとずっとこの本のことが頭から離れないからです。
あまりに暗い物語、と書きました。救いようのない話、とも書きました。でも、それだからこそ、救いを読後にさがそうとしてしまうのです。
わたしには、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」がこの本に似ているように思えて来ました。
この本「夢の終わりに・・・」は大人向けの、少し辛口の「はてしない物語」のように思うのです。
ファンタジーの世界に行ったきりではだめ、帰ってくることができる力を持ちたい、自由自在に行ったり来たりできる力を持ちたい――
そうでなければ、ファンタジーは「夢」であると同時に「危険」なものになってしまうでしょう。
(現実の世の中で、自身のファンタジーの世界に行きっぱなしで生きている人々に感じる違和感は偏見でしょうか。
つまり、それは、この世に生活しつつ心はアチラに行きっぱなしになること――「コチラの世界にかえってくる、自由に行ったりきたりする」ということがないからではないか、と思えて、そこに居心地の悪さを感じてしまうのです。不遜な言い方でしょうか。)

ドロシーは孤児でした。ジフテリアで母と弟を亡くして、そしてエムおばさんとヘンリーおじさんに引き取られます。
そこからドロシーの「生き抜く」ための人生は始まるのです。
でも、エムおばさんもヘンリーおじさんも彼らなりに「善人」であり、彼らなりに精一杯でした。だけれどうまくいかなかった。

>三人は背中合わせに立って声を限りに「愛」を叫んだが、見当違いの方向に叫んだので、おたがいの声が聞こえなかったかのようだった。

子ども時代の本当の幸福。と今強く思っています。ファンタジーを健全にはぐくみ、それを心の糧にして、実人生をしっかり生きていくために。(これらもまた、私の妄想にすぎないのでしょうか)
ドロシーにしてもジュディ・ガーランドにしても、ジョナサンにしても、不幸な子ども時代を過ごします。
でも傍から見たら幸福な家庭です。愛と笑いがそこにあるように見えます。
一見して不幸に見えない分、もしかしたらもっと不幸かもしれません。自分の不幸にきづかず、でも満たされない思いやバランスの悪い状態を日々膨らませていくしかない、・・・
ジュディ・ガーランドの母エセルの独白は、実際には登場しないドロシーの母ミリー・プランスカムの独白のようにも思えてくるのです。
自分の不幸を自覚しつつ幸福芝居を続けたジュディと自覚しないふり(?)をしようとしたドロシーと・・・どこが違っただろう。
成功したジュディのその後は書かれていないけれど、彼女がこの物語の中のままの人物だとしたら、その後、(主に内面的に)彼女はどうなったのだろう。幸福を感じることができたのだろうか。
このかりそめの幸福ごっこの日々にしがみつくしかないとしたら・・・それはやはり悪夢だろうと思うのです。
苦しいことを苦しい、不安なことを不安だと、しっかり認識できないと心のバランスはなかなかとれないのかもしれない、と思い始めています。
彼らが「夢」から戻ってくるためには「始まりからしてまちがっていた」と大きな声で言うところから始まるのではないでしょうか。

・・・でも、そうなのかな、ほんとに・・・ここまで書いて、また頭がぐちゃぐちゃになってしまいそうです。いろいろな思いが心に浮かんできて、まとまらないのです・・・
まだまだ、この本からわたしは抜け出せないような気がします。わたしの「夢の終わり」はまだまだ来そうもない、ということかもしれません。