流しのしたの骨

流しのしたの骨 (新潮文庫)流しのしたの骨
江國香織
新潮文庫
★★★


作者が、あとがきで「・・・そういうわけで変な家族の話を書きました」と言っているとおり、ほんとうに変わった家族でした。
・・・でも、変わっているのかしら。
自分の家族がふつうだなんてどうしていえる?
私の家族も他の人からみたら変だなあ、と思われているかもしれない。
この本の家族も、ただ「うちとは違う」というだけなのかも。・・・にしても、かなり違いますけど。変わっている、というより、一言で言ってずれている・・・

ずれている、と思いつつ、ひとつひとつの感じ方・考え方に、はっとしたり、なんとなくわかるような気がして共感してしまったり、
それから、そういうふうに感じたりそういうふうに行動するのもあり、だよね、と思ったり――思うだけじゃなくて、なんだかほっとしたり。なんだろうなあ。
世間の感覚にあわせることよりも、自分の感覚にあうように暮らす、そこに「誠実」という言葉を思い浮かべる・・・そこから生じるきしみをこんなふうにさらりとかわして、やさしく静かに暮らすことに対するあこがれ?

いえいえ、さらりとかわしてなんかいない。
なぜなら、たとえば、ほわーんとやさしい雰囲気の長女の口から、あっさりと、それはそれはほんわかと「(離婚すること=)半殺しにされたままの状態で旅に出るような気持ち」「わたしたちは半分殺しあったのよ。」というせりふが出てきたりするから。
淡々と描かれる日常、美しい言葉でつむがれる平凡(?)な日々・・・そこに安穏としていると、ふと見せられるものに「あ、今のはなんだろう」と訝る。
どきっとして、このやさしい雰囲気の下にあるものに気がつく。気持ちが引き締まる。
ただやさしいんじゃない。ただずれているんじゃない。こういうぞくりとする感覚が底辺にひそんだ静けさが、共感をさそう。
究極は、タイトルの「流しのしたの骨」
流しのしたにそっと骨を隠して、平和にやさしく暮らしている?
微妙な危うさでバランスをとっている?
とっても美しい文章で、ほのぼのと、あるいは淡々と描かれた、やっぱりこれは怖い話です。