ミシシッピがくれたもの

Misi
ミシシッピがくれたもの
リチャード・ペック
斉藤倫子 訳
東京創元社
★★★★★


15歳のとき初めて父の故郷を訪れた。ミシシッピ川を見下ろす岩だらけの丘にある歴史と謎の重さが宿る家に祖父母と大おじ・大おばの4人が住んでいる。祖母がわたしに少女時代の思い出を語りかける。そしてわたしは、南北戦争にまつわる思いもかけぬ事実を知ることになった―。秘められた歴史を題材に、アメリカの深部に迫った感動の物語。(アマゾン・レビューより)


夢中になって読んでいたら、あっというまに読んでしまったような気がします。
でも、でも、読後の充実感。まるでこの数倍の大長編を時間をかけて読みきったような満腹感を味わっています。
よかった。色々な意味でよかったです。

まず、純粋に物語がおもしろいです。
時代の大きなうねり、騒乱の中で不安に佇む小さな田舎町。
限られた登場人物ですが、第一章に出てきた老人たちの特徴や名前を何度も振り返って確認しました。それがとても興味深く面白かったのです。
この人たちは、第二章、おばあさん(第一章の語り手である少年のおばあさん)の少女時代の物語のとても大事な人たちなのです。
彼らが老いてゆったりと今ここにいる・・・
その彼らが、どれほど驚くほど謎に満ちた劇的な少年少女時代を過ごしたことか・・・そして、戦争のさなかに何を失い、何をえて、どのように成長したのか・・・
物語は、まさかまさかの連続で、文字通りページを繰る手が止まらないほど。
そして、しっかりとした骨太のストーリーに安心しつつ、少年少女の成長を読者は一生懸命追いかけるのです。
最後の最後までまさかの展開でした。そして大きな感動、予想もしなかった感動が待っていました。
あえて、これ以上ストーリーには触れないことにしますが、すっごくおもしろいです。絶対予想なんてできませんから。

それから、名もない庶民が巻き込まれた南北戦争
北と南のちょうど中間地点の田舎町に、静かに暮らす普通の家族が、戦争という異常に緊迫した状態の中で、翻弄され、いろいろなことが変わっていく様子、映像を見るようでした。
むごたらしい場面も出てきました。
少女キャスの見る不吉でまがまがしい幻から始まり、志願兵たちが置かれた現実、カイロの町や傷病兵たちのテントの場面の描写のすさまじさ。
だけど、一番ぞっとしたのは、普通の人が、耐えることと待つことの連続の中で、精神を病んでいく姿でした。
失うもの、壊れるもの・・・
南北どちらの軍に栄光がもたらされようとも、普通の暮らしをする庶民には遠すぎる話でした。
「犠牲」と「喪失」「惨めさ」しか彼らには与えられなかったのです。与えられようが無かった・・・それが戦争でした。年表には決して書かれない、戦争でした。
だけど、頑ななまでに意志の強い主人公たち、みんな果敢に自分の未来を切り開いていくのですもの、そりゃもう最高に魅力的な登場人物の行動力に夢中になります。元気になります。
そして時たま画面をよぎる、神秘的な少女たちが与えるなんともいえないこの雰囲気にぞくぞくします。

人種問題・奴隷問題――南北戦争の時代の物語ですから当然のテーマです。
北軍の勝利は最初から分かっているわけで、だからといって人種問題が解決したとは絶対言わせないぞ、と思いつつ構えて読んでいたのですが・・・これは!
これは、血と誇りの物語でした。人間としての誇りの物語です。血の誇り。
人種問題とかいうのが恥ずかしくなるくらいの人間の血の尊厳の物語だったのです。

ずっと変わらずに流れ続けるミシシッピ川は最初から大きな意味を持ち続けています(戦争にとっても、河口の町に暮らす人々の生活にとっても)
しかし、最後にきて、本当の意味が急に浮き彫りになったように思いました。
この物語は「血」の物語です。そして、ミシシッピアメリカの中心を変わることなく流れ続けるアメリカの生きた「血」なのだと気がつくのでした。(原題は“The River Between US”)
邦題「ミシシッピがくれたもの」・・・ミシシッピが、この本の登場人物たちに(そして読者であるわたしたちに)くれたものは、何だったのでしょうか。
その答えは、物語のおわりのほうのこの言葉に集約されます。

  >私は、自分の血のどの一滴をも誇りに思っている。

言葉にならない感動でいっぱいです。