『チャリング・クロス街84番地』  へレーン・ハンフ 

副題 : 書物を愛する人のための本

ニューヨークに住む女性がロンドンのチャリング・クロス街84番地にある古書店マーク社にあてた一通の本の注文の手紙が、
ニューヨークのへレーンとロンドンのフランク・ドエル(を中心にマーク社の社員や家族)との20年にわたる文通の始まりでした。
客と店員という関係以上のこの友情に満ちた手紙だけの交流は20年続く実話です。この本の手紙がすべて実話であることは、うれしいことでした。
20年にわたり、恋愛などが介入して生臭くなることなく、親密におだやかに、友情が続いたことが、尊く、愛しい。

ただの本屋ではなく古書店という独特のお店で
本に対する並々ならぬ深い造詣の女性客に
誠心誠意という言葉がぴったりの態度で対応した店員。
彼らに共通するのは、「本」に対する深い愛情と好み。ユーモアのセンス。そして、そこに誠実さがプラスされながら、だんだんに深まっていく親交の温かさ。思いやりに満ちたやりとりを、こうして読むうれしさ。

たまには、「これこれこういう本を探してください」という要請に、6年もたって送られてくる本。
要請する側のこだわりと、それを知って答えようとする側の誠意。互いの信頼。
こういう関係をもてることがうらやましくなってしまいます。

また、第二次世界大戦直後の、共に戦勝国であるにもかかわらず、イギリスとアメリカの食料事情の差など、初めて知ることができ、これもまた興味深いことでした。

20年間にわたる文通。そして、その間何度もイギリスへの渡航を促され、本人もそのつもりでいながら、様々な事情からとうとう実現することがなかった作者。
ここに、ふっと作者の作為感じてしまいました。
逢いたいけど、逢いたくなかった。そうじゃないの、へレーン?
手紙だけによる友情、この関係をこわしたくなかったのじゃないだろうか。うまくいえないけれど、互いに逢わない関係が、顔を合わせての関係よりも深いこともありうるのではないか。まして本を介した友情ならなおさら。そういう友情をこのままの形で大切にしたい、という気持ちが心の底にあったのではないのか。・・・そんな気がするのです。

わたしは、自分のことを「本好き」と思っていましたが、なかなかどうして!本物の本好きとはこういう人たちかあ、と感心することしきりでした。

長きにわたる思いやりに満ちた手紙のやりとりは、突然に終わります。 おもわず息をのみました。
この寂しさ。せつなさ。胸がいっぱいになってしまう。突然に、なぜ・・・

最後に、訳者による短い文庫版あとがきが付いています。以下のように記されています。
 >1970年に刊行された原著は、世界的に好評で、後日談も2度ほど発表された。
  しかし、本篇の内容・構成を考えると、やはりもとのままが最良と思われるので、敢えてそのような形をとった。
  読者の諒を乞いたい。
このあとがきにも感謝です。後日談など知りたくもない。このままに…たぶん、眠れぬ夜に、ぱらぱらとページをめくりながら、愛しいフレーズの数々をもう一度たどりたいと思います。