『グリーン・ノウの魔女』  L・M・ボストン 

グリーンノウの屋敷を狙う魔女が現れます。
彼女は、グリーンノウ屋敷に残っているかもしれない古い魔法の本(遠い過去、この屋敷に魔法使いが住んだことがあるから)を捜している哲学者として、オールドノウ夫人と子供達(トーリーとピン)の前に現れます。
すごく人間臭い魔女ですが、この世に、こんなにいやらしい人間がいるだろうか、胸が悪くなるくらい気分の悪いヒトです。
彼女は、オールドノウ夫人が、自分の思い通りにならないと見るやたちまち本性をさらけ出して、さまざまな攻撃を次から次に仕掛けてきます。
怖いのです。正面きっての攻撃ではなく、人の気力や意志の力を心の奥から吸い取ってしまうような怖さです。
こちらがおびえ、妙に不安になってくるのに対して、もともと小柄なこの女性が、会うたびごとに少しずつ大きくなっていくように感じる、という描写、妙に説得力があります。

トーリーとピンが力を合わせて、全力を尽くして戦うのです。
トーリーもピンも、前の冒険の頃に比べて、ずいぶん成長したように感じます。しかもふたり一緒、頼もしさを感じます。
そして、災いに見舞われ、災難の真っ最中であっても、オールドノウ夫人は、日々の習慣を変えたり、いたずらに動揺を表に出したりはしません。庭の手入れをして、キルトのほころびをつくろい、村に買い物に出かけます。そのまっすぐな姿勢に、思わずほほえんでしまいました。
グリーンノウに過去から伝わる鏡や魔法玉などが彼らに力を貸してくれるのですが、何よりも、彼らを守り、力を与えたのはグリーンノウというこの場所であり、過去から変わらずに続いてきた「暮らし」そのものではなかったでしょうか。

  >グリーン・ノウはふしぎなことでいっぱいなのだ。
   ここはだれでもうけいれる。
   そしてここちよく、楽しく、生き生きしている。
   だが、それだけではない。
   この古い建物の心はずむような形と色のうしろには、
   見知らぬ世界からの脅威がひそんでいるような気がする。
   この家はその見知らぬ世界とも仲よくし、
   りくつではわからないものをけっしてしめ出そうとしていないようなのだ。(P18)

  >「・・・わたしはむやみに気もちのいい絵はほしくないのです。
     人生と同じで、ちょっと変わったところがあった方がよいのです。
   こういう古い家では、いろんなことがよくわかっていると同時に、
   わからないこともあるんです。」(P70)

  >むかしのバラは、いつも愛をあらわすものだった。
   そして心を喜ばすものは全てそうなのだが、
   死んでもまた生まれ出てくる。(P152)

グリーンノウ、やっぱり、わたしは好きだな。と思います。
グリーンノウという館とその暮らし。そして、それを心から愛し、守りたいと思っている人たちがわたしはとても好きです。

しかし、ラストシーンのとってつけたようなわざとらしいハッピーエンド。妙にしらけてしまって、あれだけはいただけませんでした。かえって物語の質を貶めている、としか思えませんでした。それだけが残念でした。