『グリーン・ノウのお客さま』  L・M・ボストン 

このシリーズを久々に手に取って、細部までかなり覚えていたのは、そして、ページを追うごとに初読の気持ちをしっかり思いだせたのは、この巻だけなのです。
オスカーが去ってひとりぼっちになったピンとゴリラのハンノーがロンドンの動物園で出会う場面。ゴリラのなかに自分をみてしまう。ああ、この子はトーリーと親友になれるのに、と思ったこと。
グリーンノウ屋敷にはやはりオールドノウ夫人が必要なのだということ。彼女がいて、はじめてグリーンノウがグリーンノウらしくなるのだということ。
森の中でのハンノーとの再会のときめき。そして、そして・・・ 最後の章の始まり。朝の静けさ。そして、なんともいえない美しさ。次に来る悲劇よりも、この静かな美しさのほうが、悲しくて胸にこたえました。

主人公ピンは中国系難民の少年で、難民収容所で暮らし、彼には家族がありません。
彼がハンノーに惹かれ、ハンノーと不思議な親子関係(?)を結ぶことは自然であり、すばらしくもありますが、胸がふさがれるほどにさびしいことでもありました。
どこにも居場所のないふたりがひっそりと心を寄せ合い、他人がだれも入り込むことのできない自分達だけの世界を築いていく。

人間に何も害をくわえることもなく、平和に暮らしていたゴリラが、ただ、たった一匹動物園に入れられる、という目的のために、ジャングルが荒らされ、家族を殺され、故郷を奪われる。この理不尽さへの怒り。
(だけど、この本からもし、教訓をひっぱり出そうと考えたら、それだけで、この世界の深さ、バランスが壊されてしまうことでしょう。)

ピンにとって、ゴリラのハンノーは、なんだったのでしょうか。
自由。祖国。家族。彼の内包する野生のすべて。ハンノーが自由に生きることで、ピンは自分自身を解き放とうとしたのかもしれません。また、彼自身のつながれる世界を持とうとしたのだと思います。
自由に自分を解き放つ、野生へのあこがれ。
一つところにつながる家族への憧れ。
相反するこの二つのあこがれは、子どもたち誰もが持っているものなのかもしれません。

何もかもが残酷に消え去ったあとで、ピンは本当の家族と家を手にいれます。一つの憧れを捨てることで手にいれたものです。ある意味、ひとりの少年の成長の物語なのかもしれません。
それにしても、あまりにも辛い話でした。苦い後味が残りました。
気になったところが一点。
オールドノウ夫人が、よく手伝うピンを褒めて言う言葉なのですが、
「ねえ、ピン、あなたは中国人の召使のようにうまくできるわね。中国人の召使は世界じゅうでいちばんいいとされているのよ」
こんなふうに褒められてうれしいかな。