『グリーン・ノウの川 』 L・M・ボストン 

グリーンノウの夏。
オールドノウ夫人が長い旅行に出かけて留守のグリーンノウ。
モード・ビギン博士とミス・シビラ・バンという二人の女性がこの屋敷を借りています。
二人で過ごすには広すぎる屋敷に、難民少年のオスカーとピン、そしてビギン博士の姪のアイダの三人の子どもたちが、夏休みを過ごしにやってきます。
三人はグリーン・ノウを囲む川をカヌーに乗って巡りながら、夏を過ごすのです。

今までのグリーンノウ物語と全く違います。
オールドノウ夫人も庭師ボギスもいない、屋敷のうちに篭っていたさまざまな気配たちもすっかり影を潜めてしまい、まるで、まったく違う物語でした。
なんだか、グリーンノウの屋敷さえ、よそよそしく感じてしまいました。

でも、子どもたちの夏の休暇は、美しく、きらきらと輝いていました。イギリスの川を舞台にしたさまざまな児童文学の名作を思い起こします。
「川」ってなんてファンタスティックな世界なんだろう。そこには何かがある。だから惹かれてしまう・・・
どこへ続いているかわからない旅へのあこがれとして。
現実世界と魔法世界を隔てる境界として。
こっそり屋敷を抜け出して、真夜中、月明かりの川を漕ぎ下りながら、さまざまな幻想的な世界にめぐり合うさまなど、絵になる忘れられない光景がいっぱいでした。
長年研究し、求め続けてきた真実の不思議が目の前にあるのに、まるっきり信じようとしないビギン博士を前にして、
  >「おとなってものは、しょっちゅうそうなんだ。
   いまあるものはきらいなんだ。
   ほんとうに興味ふかいものがあるとしたら、
   それはむかしのものでなくちゃならないんだよ」
という子どもの言葉でおわる物語は皮肉たっぷりで、思い当たることの多いわたしは、苦笑いでした。

それにしても、このシリーズに出てくる子どもたちは、どの子もどの子も心に癒しがたい傷を持ちながら、けなげに生きている。
そして、この本では、この子どもたちが冒険のさなかに出会う人たちもまた、人間の世界から逃げ、身を隠しているものたちでした。
このことが、作品に独特の静けさをもたらしているように思います。
人一倍痛みを知っている彼らだからこそ気がつくもの、見えるものがある。その世界の美しさに畏敬の気持ちさえ持ってしまいます。ただ、底にいつも悲しみが漂っているのですが。
こういうものを描くに、川という舞台がいかにふさわしいものか、と思います。いいえ、舞台というより、川は、中心となるキャラクターのようでした。