『六号病室のなかまたち』  ダニエラ・カルミ 

主人公はパレスチナ・アラブの少年、サミール。
イスラエルの占領下、たびかななる外出禁止令。弟をイスラエル兵に殺されている。それ以後家の中からは光が消えてしまったようだ。
物語の中で、サミールが何度も弟のことを回想する。断片的な映像が結びついて、この少年の静かで深い悲しみが浮き彫りになっていく。
足を怪我したサミールが入院することになったのはイスラエルの病院であり、アメリカから来る医師が彼の足を手術するという。(サミールはいきたくなかったのだが)

戦争文学でした。しかし、これは、戦争を直接描いてはいない。
静かで平和な小児病棟の一室。でてくるのは五人の少年少女。
けれども、子供たちの病室の静かな空気の中にさえ、民俗の問題や戦争が、静かに割り込んでいる。
民俗のちがいだけではなしに、それぞれにいろいろなバックボーンを持っている子どもたち。
彼らは自分のことを積極的に話そうとはしない、聞こうともしない。
静かに、笑ったり、とりとめのない話をしたり、確執があったりする。
そういう生活を送りながら、自然に互いへの共感が生まれてくる。連帯が生まれてくる。

イスラエル人の少年ヨナタンと深夜こっそり、コンピュータゲームで火星旅行をする。
そして、「君とぼくとは同じ星屑からできている、同じ星の子だ」とヨナタンはいう。
この仮想火星旅行をとおして、ヨナタンに深い連帯を感じ、弟の死を自分のなかで昇華していく。
最後に、ずっとかたくなに無視し続けていた少年ツァヒ(彼はイスラエル兵である兄を尊敬している)と、言葉をかわさないまま、小便のとばしっこをする。そして、この時の感覚を「ほんとうのことだったという証しを、ぼくはこの手でしっかりと捕まえていたい」と考える。
子供と大人のべたべたしない関係もよかった。
子供たちがあっさりとした付き合いのなかで、静かに無理なく結びつきを強めていく過程もよかった。
作者の思いがストレートに伝わってくる、温かくさわやかな読後感だった。

だけど、と思う。
このあと自分の家にこの子たちは帰っていく。
アラブの居住区に暮らすサミールの未来は、わたしなどには想像もできないほど厳しいものでしょう。イスラエルの子供たちの未来に横たわる問題も。でも、それは、もはや物語の世界ではないのでしょう。
ヨナタンとの火星旅行はまぼろしにすぎない、だからこそ、美しくて印象的。
他の子供たちとの連帯も。
これから遠く苦しい道を歩いていかなければならない子供たちの道が、この日々の思い出に照らされますように、と願わずにいられない。