『サマータイム 』 佐藤多佳子

わたしはジャズを聴いたことがありません。
それなのに、この物語(4編連作)からは、知らないはずのサマータイムやセプテンバーインザレインという曲がずっと聞こえているのです。
なんだろう、この爽やかさは。音楽的な、乾いた透明感のある文体。
そして、夏の雨の匂い、夏の朝のすがすがしさ…そして、鮮やかな花の色。物語全体から夏の空気の匂いと色を感じました。

一番好きなのは表題作「サマータイム」。
さあっと自転車が走り去る。
あっというまに。
うーん、あざやか、としか言いようがなくて。
一瞬のうちに、彼らが若さとその輝きを全部持って走り去ってしまったように思いました。
ため息をついてしまった。
(わたしとしては、このままおしまいで一向に構わなかったのですが。空白の時間は空白のままで。)

サマータイム」が、空白の時間を多く残して、かっこよく決めた表舞台だとしたら、あとの3編は、物語の裏方のようだと、感じました。
語られなかった少年と少女三人の空白の時間と思いを、続く3編で丁寧に埋めていったような感じでした。
どのお話も、「続きはまた明日ね」とでも言っているかのように、もう一寸読みたい余韻を残して終わるのです。

大きな事件があるわけでもないのに、忘れられない出会いや場面がある。
それは、恋愛と呼ぶほどのものではないけれど、友情とも違って・・・ それぞれに、壊れやすい、感じやすい部分を抱えている、そして未熟。だからこそ輝いている、一過性のあの時代!
まぶしくて、なつかしくて、わたしにはもう過ぎ去った時代なんだなあと、思うと、嫉妬さえ感じてしまいます。

 >何が終わろうとしているのか。夏だ。何を食べてしまったのか。夏だ。

  ぼくらは佳奈の作った、すごい味の小さな海を食べて、この夏を終わりにしてしまったのだった。